「泣ける映画」と言う表現が嫌いだ!2005年11月27日 06:00

92年PI0NEER広告「それは、彼女が見せたはじめての涙だった。」
「泣ける映画」と言う表現が嫌いだ。
いい意味で使っていれば、なお始末が悪い。

マイ・フェイバリット・ムービー『ニュー・シネマ・パラダイス』はその代表格のように世間では”評価”され続けている。キャッチフレーズとしてシンプルに短く魅力を伝えたいというだけならばまだ気持ちは分かる。
「感動した」と言うよりは収まりも良く、コピー的にいい。でも「泣ける」と言う表現の向こう側にある本当の意味はこれだけは伝わらない。

「『ニュー・シネマ・パラダイス』が泣ける映画」と簡単に言えるのは、泣くと言うリアクションだけで充分満足できる観客ということなのだろうか。自分と求めているものが違うだけかもしれないが、せっかく好意的な感想があまりにも同じ薄っぺらだとイラついてくるのもファン心理である。
正直言って、自分の最初の感想は「泣ける」とは程遠いものだったし、泣く快感に酔うにはあまりに”しこり”を感じた。(その”しこり”こそが自分をリピーターに変貌させた原因だったのだけど。)

映画のヒットのおかげで様々な場所でこの映画を使ったCMを見る機会も増えた。90年当時、ちょうど普及し始めていたLDのCMに「泣ける」事を売りにしたイメージが出始めて辟易とした。
「それは、彼女が僕に見せた/はじめての涙だった。」と言うコピーや加勢大周氏が男泣きするメインビジュアルの傍に『ニュー・シネマ・パラダイス』。
まだ当時は男泣きできる自分を肯定するのが新鮮だった時代なのかもしれないけれどさ。
よく『ニュー・シネマ・パラダイス』好きを揶揄するフレーズ「映画が好きなのではなくて泣いている自分に酔っているんじゃないの?」という意見に”そういう人が多いのかも”と思わされてしまうのも確かなのだ。

もうゲップが耳から出そうな気分なのに、15年を経た今でも「泣ける映画」と言う褒め言葉は世間に渦巻いている。泣けると良い映画と言うのは間違っている。
当初、本国イタリアでこの映画は「甘ったるすぎる」と酷評された。当時のイタリアの批評家はセンチメンタリズムの奥にある価値を評価するまでには至らなかった。「泣ける」からダメと言う評価と、「泣ける」から良いと言う肯定派は実はなんら変わりない。それはセンチメンタリズムの好みの問題だと言い換えられる。

繰り返し言う。泣けるとエライんかい? 良い映画なのか? 少なくとも俺はそう思わないね
そんなに泣きたきゃ、玉ねぎむいてろ!

こんな罵詈雑言を心につぶやきながら、今日も「泣ける映画」と言う褒め言葉を自分はスルーしている。


■画像~92年PI0NEER雑誌広告 「それは、彼女が見せたはじめての涙だった。」
フィルムやスプライサーといった小道具の作りこみはカッコイイ、作り手のこだわりを感じるビジュアル。




■ニューシネマパラダイス関連エントリー
アナログレコード、B面のトキメキ [2005年11月29日(火)]
凡ミス広告 ~トトとサルバトーレの会話 [2005年11月28日(月)]
「泣ける映画」と言う表現が嫌いだ! [2005年11月27日(日)]
「ばってらミルク」って(笑) [2005年11月26日(土)]
『ニュー・シネマ・パラダイス』デジタル・リマスター版前売り券&特典 [2005年11月25日(金)]
『ニュー・シネマ・パラダイス』公式HPにて封切日発表 [2005年11月25日(金)]
ファイリングする=マニアの生態 [2005年11月21日(月)]
映画『モーメント・オブ・ラブ』~雀の羽ばたき [2005年11月20日(日)]
「ニューシネマパラダイス」リピーター時代 ― 2005年11月01日 [2005年11月01日(火)]
『ニューシネマパラダイス』デジタルリマスター版年末公開 [2005年10月26日(水)]
ドキュメンタリー・オブ・エンニオ・モリコーネ ~ファン必見 [2005年10月19日(日)]
コンサート限定オルゴール/ニューシネマパラダイス[2005年10月09日(日)]
ブラボー! エンニオ・モリコーネin JAPAN 2005 [2005年10月08日(土)]
幻のニューシネマパラダイス [2005年08月25日(木)]

コメント

_ うおりゃー ― 2005年11月27日 12:22

ニューシネマパラダイスって、個人的には
あんまり「泣ける映画」って、感じじゃなかったなあ。
「いい映画」だったけど。
「泣ける映画」っていうと、不治の病とか、親子生き別れみたいなの
思い出すね。
「年代記」というか、時代が移り変わって、人も変わっていく
「どうしょうもなさ」が泣けるといえば、泣けるけれど。
「完全版」はエロなシーンが付け加えられて、
よけい「泣ける」というよりも「人間くささそのもの」に
近付きましたね。

しかし、このLDプレイヤーの広告、懐かしいです。
ムードがバブリーだなあ。
きっと、広告作る時期に、ちょうど発売されたLDの中で
これが、もっとも「泣けるといえば泣ける映画で、有名で、
嫌がる人はいないから」ということで選ばれたんだろうなあ。

そんなに、「泣ける映画」っていうふうに
言われてるんですか。世間では。

_ hero-to-sea ― 2005年11月27日 18:32

悲しいから泣けるのではなく、しあわせだから涙が出てくる。
そういう映画なら、ぼくは好きですよ。
でもそういう映画にはあまり「泣ける」というコピーはつきませんね。

_ しんのすけ ― 2005年11月28日 01:15

「ニュー・シネマ・パラダイス」、しらいさんに見せてもらったねー
ぼくがいいなーと思ったのは、人間くさくて、暖かいところ、優しい所、切ない感じのところ。
わーこれももはや、げっぷ気味だねー;ひー;

「それは、彼女が僕に見せた/はじめての涙だった。」
って、そんなものは恋人とはいわない。(いってないか;)

妙に作られた人間像がでてこないところ。(あったかいリアリティ?)
本当にこんな人、居るよって思うところ。
居て欲しい、こんな町がある、あって欲しいとおもった。
うまくはいえないけど、ぼくは好きな映画です。
優しくなれそうな気がする。残酷さもある。

然り然り。ぼくも賛成です。
曰く
”泣ける」からダメと言う評価と、「泣ける」から良いと言う肯定派は実はなんら変わりない。”
そういう気持ち解ります。自分はどちらでもないという事が、酷く居心地悪くて、反面あるひとつの自信もある気がする。

絶対に感動なんかしていない!
ってがんばっているのに、涙が出ることだってあるよね。

”感動”とは?
いろいろあるのに、一言で、いえるのか?とか。
本気か?
と、その薄っぺらさ加減に、上っ面の表現に
鼻がひくひくして、危険だ!と警告しているのです。たぶん。

代弁しようと思ったけど、うまくいえないっす;

_ T山 ― 2005年11月28日 17:15

人間には押すと泣くツボがあり、その押し方がうまい映画、っていうのがみんな名作に入っちゃうのもどうか? ということですな。

_ しらいしろう ― 2005年11月30日 08:15

珍しくたくさんのコメントいただき、ありがとうございます。

僕もうおりゃーさんと同じで「泣ける映画」だと思っていないクチです。
しんのすけさんと同じで「残酷さ」を感じています。
hero-to-seaさんの言われる映画、僕も多くの好きな作品がそういう部分を持っているので良く分かります。

T山さんのおっしゃる
>人間には押すと泣くツボがあり、その押し方がうまい映画、っていうのがみんな名作に入っちゃうのもどうか?

そこに反発しているのが一番。
泣く行為の美化にも嫌悪感を抱いてます。
そして何となくエラソー。
一般人として「面白かった」「つまらなかった」「泣いちゃった」と簡単な感想で充分だと思うのですが、「泣ける」は泣いてる感情を冷めた視点で語ってますよね。
泣かしてくれる人(監督)の存在まで視野に入ってる臭いがする。
「泣ける映画」って表現、なんか色々ヤな感じです。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
右「しらいの仕事」表題赤丸の大文字アルファベット。
Next alphabet from "D"

コメント:

トラックバック