チョロ獣大作戦「ウルトラマンシリーズ」84年2006年01月15日 00:00

チョロ獣大作戦 ウルトラマンシリーズ タカラ/1984・4月発売
ゴジラシリーズに続くチョロ獣第二弾「チョロ獣大作戦/ウルトラマンシリーズ」(84年)です。初代ウルトラマン第一話「ウルトラ作戦第一号」を思わせるシリーズタイトルがマニア臭を放っています。

口の小さなバルタン星人の火吹きギミックにかなり無理を感じましたが、それよりも大胆なアレンジがウルトラマンです。
発売前の広告やコロコロコミックの記事では頭の小さかったウルトラマンが、発売版はとんでもなく頭でっかちに変更されています。それだけでなくカラータイマーに大きな穴を開けてそこから火花を散らすウルトラマン……。ウルトラマンタロウの”ウルトラダイナマイト”(カラータイマーを爆発させる大技)かよ! と、突っ込みを入れたものです。この商品の前に発売されたゴジラシリーズのクリアバージョン「夏まつりセット」をエンジョイしていた自分としては、ウルトラマンの目やカラータイマーがクリアーパーツになり、光るように見せるのではないかと勝手に予想していただけにぶったまげました。
頭の固いマニアだったので気づくのが遅かったのですが、火花をスペシウム光線に見立てるためのアレンジだったのですね。

ゲスト怪獣のキャラクターが豊富で、それらが売れ続ける正にオバケ番組である「ウルトラマン」ですが、怪獣のチョイスは妥当な3匹です。第二弾を待っていたのですが残念ながら続編はありませんでした。リクエストの多かったガラモン、カネゴンも新チョロ獣に新規リリースがあるならば是非見てみたいラインナップです。

1984年4月発売、全4種類 \400
ウルトラマン、バルタン星人、レッドキング、ゴモラ

<パッケージコピー>
「きたぞ、われらのチョロ獣!!」

宇宙の伝説
チョロ獣

「宇宙の平和を
おびやかす
怪獣を追って
あのチョロ獣が
帰ってきた!!」


”帰ってきた”って、第一弾に引き続き初お目見え商品なのに……。

テーマにフォーカス ~ラストシーンの寒気と感動2006年01月15日 00:01

『ロードショー』92年7月号記事「ラストシーンの意味が変わった!?」
完全版のソフト化を記事にした『ロードショー』92年7月号の見出しは「ラストシーンの意味が変わった!?」とある。
要約すれば”2時間版のラストはアルフレードとトトのふたりがはぐくんだ夢のかけらのコレクション、完全版は永遠に失われたものに対するレクイエムのようだ”と語っている。
ごめんなさい、自分は同意できません。わざわざ完全版でトトの”兵士と姫の物語”のテーマ探求の答えや「あれがフィナーレとは思わない」とつぶやくトトを目にしていてレクイエムだと言えちゃうなんて「オマルの外にションベンしてるみたいだ。」(おっと、これは『みんな元気』の台詞だ。)
正直言って、途中経過の差こそあれ、テーマ的に”完全版”と差がないのが自分の繰り返し見た”初公開=二時間版”の感想です。
二時間版は一般的に嫌がられる性描写やタブーのボリュームを絞ってはいるもののゼロにはなっていません。人間のエグさやカルマやドロドロを含めて人間を描く姿勢は一貫しています。むしろ、だからこそ二時間版が素晴らしいと言う意見ならば賛同できますがついぞ、そんな意見は読んだ記憶がありません。
トトがストーカーと化してる”と言う意見も表層しか見ていない意見に思えます。 トトは若い頃からしっかりストーカー体質に描かれています。告白相手がきっぱりとなんとも思っていないと言うのに、好きになるまで家の下で待ち続けるなんて言い出すのは、かなりストーカー気質です。そもそも恋愛なんてそういう感情との紙一重の世界。本気だからボーダーを越えるほどの行動なのではないかと思うのです。(そんな意見の自分がヤバい人なのでしょうか。)歳を取っても行動原理は変わらない、トトはトトのまま。トルナトーレ作品の殆どがそういう世界を好んで描いています。

生々しいから完全版は嫌だという意見もよく聞きます。そういう人はくさいものにフタした”映画のような人生”を期待しているのかもしれません。「人生は映画とは違う、もっとつらく厳しいものだ」の台詞が絵空事になっていないか心配です。

『ロードショー』の記事では特にエレナとの恋をアルフレードが引き裂いていたことに対してラストの印象が変わったとの論旨です。
しかし2時間版を繰り返し見ると3時間版で明かされたドラマの殆どは予測が付くようになっています。だからこそ、自分はリピーターと化しました。噛めば噛むほど物語があるから繰り返したのです。
自転車のシーン「でも、子供なんていないじゃない」というくだりや指輪を2つしていることでアルフレードは前妻と子供を失って再婚していることが分かります。
エレナとトトの再会もエンドクレジットの2ショットだけで伝えています。
そしてエレナとの恋愛を引き裂いているのもアルフレードであることが希薄ではありますが伝わるように構成されています。
トトが戦争から帰ってきてからのアルフレードは以前と異質になります。フィリップ・ノワレの演技の確かさと監督の演出力なのでしょうが、家にこもり、何かを思い悩んでいた節があるアルフレード。部屋の蒸し暑さは気候のせいではなく“永遠の業火”の中にいるからなのでしょうか。
駅での別れのシーンで一人だけ背を向けるショットは何をやらかしたのだと、常に思わされる映像でした。
そしてラストのキスシーンのラッシュ。素手でちぎられて指紋がベッタリついた画面は繰り返すと確実に目に付く”神の指紋”です。人の出会いや愛を切って、切って……。その残酷さを見せ付けることでアルフレードがやらかした”功罪”は見えてきます。
指紋に気がついたときの寒気と感動の入り混じった気持ちは忘れることのない瞬間です。映画館のスクリーンいっぱいの指紋! 背後には映写室があるからこそ、良いのです。

ラストシーンは美談として子供の頃の約束を守ってフィルムを託したとだけ受け取るのもアリでしょう。でも自分にはそれだけで終わる物語ではありません。神々しいまでの残酷さが二重露光のように焼きついているから素晴らしいのです。
”泣ける”だけの映画なら、他にもたくさんの名作があります。
だからこそ簡単に泣いたことで満足する人の話には疑念を抱いてしまうのです。探究心のない愛なんて、ルックスだけで恋愛してるようなものです。
人に対してと同じように、映画にも思うのです。好きなればこそ探求してフォーカスをずらして深く見て欲しいと。
「当てて見せようか、ピントがズレているぞ。」

怪獣消しゴム復活にワクワク2006年01月15日 22:10

怪獣消しゴム/ロボット・ピグとモンキー 
リアルやディフォルメなんて概念が登場してから怪獣玩具が両極化して久しい。
鳥山明・作「Dr.スランプ」に登場したパロディ・ディフォルメキャラクターたちはその後のディフォルメセンスに多大な影響を与えた。思えばマルサン・ブルマァク的な戯画化=ディフォルメセンスの延長上で始まった”怪獣消しゴム”。終止符を打ったのはこの”SD(スーパー・ディフォルメ)”のジャンルが確立してからだった。

マルサン・ブルマァクのコア世代は年齢も上な分、再評価までに時間はかからなかった。怪獣消しゴムは世代差だけでなくチープ・トイと評価のされにくいジャンル。まだまだ再評価には遠い印象がある。
しかし一部の熱狂的なファンには高価な根で取引されるアンティーク・コレクティブル・トイになってしまった。

数年前の玩具ブームにのって何度目かの復刻シリーズ「アンティッQ」も発売されたが売れ行きはイマイチだったのかシリーズ途中でフェードアウト。
今月末、久々に怪獣消しゴムの路線を狙った商品が発売される。
自分の蒐集歴で一番長いコレクション「怪獣消しゴム」の復活に今からワクワクしています。

※画像は昨年ネットで購入した79年「ザ・ウルトラマン」当時の消しゴム。
”ロボット・ピグ”とそのペット”モンキー”。