映画『のび太の恐竜2006』~その1 導入部にあれこれ2006年03月11日 02:41

『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』劇場パンフレット
ドラえもん映画の第一作『のび太の恐竜』のリメイク作品『のび太の恐竜2006』。その作品は単なるリメイクとして技術面の水準引き上げではなく物語の骨子まで再度見つめなおし、原作とも80年版映画とも違う結果を導き出した。”リメイク”と言う狭い考えで映画に望んだ人は少なからずオリジナルの展開に驚いたはず。

自分はTVのブローアップ版の汚名を晴らした成功を眺めながら”劇場用アニメーション”としてのクオリティに対して限界を感じていた25年間だった。
待ち望んでいた『のび太の恐竜2006』はついに劇場用アニメーションの意気込みを感じ、何よりも”ファミリーピクチャー”として映画の風格を備えていたことが嬉しかった。そう、これは「ドラえもんファン」としてではなく「映画ファン」としての喜び。

映画館はスクリーンで見てこそ、それは全てにおいて言える事ですが、今年は特に強くお勧めしたい気分です。

<※以下ネタに突入。未観の方は避けましょう。>
映画の完成前から、みっちりと絵コンテを読まないといけない仕事の関係上、人とは違った感想かもしれません。
最初のフィルムは知っている展開のはずなのに情報量の多さとスピーディーな展開にヘトヘトになり、正に長旅をした疲労感を伴う気分でした。そして絵コンテ以降にもかなりの変更とカットがあり、良くするための格闘が最後まで行われていることを感じました。しかも、最初に見た試写ではいくつかのミスを見つけることが出来たので折を見て質問したところ、劇場版では更に修正されるとの教えられ劇場版が更に楽しみになりました。

しょっぱなで驚かされたのはOP。ドラえもん映画では『のび太の海底鬼岩城』(芝山努:監督 1983)以来、定番になっていた映画ならではの風格を備える”重さ”や”いつもと違うムード”をかもしていたOP前にドラマが入る演出、後年はのび太が『ドラえも~ん!』と叫ぶとOPが始まると言う”伝統芸能”へとパターン化されていた。それがない!
絵コンテでもそのパターンは踏襲されていたのでスクリーンではビックリ。キッズムービーとして子供に優しくハードルを下げたとも取れるけれど、結果的に能天気なOPと本編冒頭がとんでもないギャップでコントラストとなっていた。配置に関しての変更は効果を上げていた。

しかしOPの内容に関しては不満。「クレヨンしんちゃん」のクレイアニメのOPのように手仕事の良さを導入しようとする意図は感じるのですが。その内容がリニューアルされていないキャラクターデザイン(むしろ、旧とも新ともかけ離れたデザインならば良いのに……)にズッコケさせられ、ひたすらファンタジックで明るいカラッポなビジュアルが多すぎる。ポケットから流れる虹は今作のオリジナルイメージとして納得するのですが、他のイメージがまったく伝わってこない。
『のび太の恐竜』80年版では同じくしょっぱな歌で始まっていた。ある意味工夫が感じられないと言われそうな直球だった。当時TVオープニングだった『ぼく、ドラえもん』に合わせてタイムマシンに乗ったドラえもんがインサートされながら秘密道具を使う楽しそうな日常をあっけらかんと描いた。イメージだけではあるが”未来から来たロボットが少年と不思議なことをするアニメ”と言う基本を観客に見せていたと思う。この基本を伝えないと部屋にいる奇妙な青いヤツが普通に居る世界への導入に1ステップ足りない印象を受けてしまう。
ドラえもんは世界にはばたき誰もが知っているから基本設定はいらないと言うのならば異論はないが自分はそうは思わない。
そもそも短編作品に挿入されたエピソードだから飛ばされている基本設定、結構重要だと思うのです。

さて、そんなOPを終えると今度はドラ映画でかつて見たことのない空間処理にカメラ移動。思わず声を上げてしまうほどの三次元的なパンに数秒で引き込まれてしまいます。まるで『ピノキオ』(1940)の導入部のような空間を魅せる感覚にアニメーションへ興奮が一気に高まり世界に吸い込まれました。

キャラクターのアニメイトはこれまでに見たことのない枚数を使って動く、動く。これまでドラえもんのアニメ動きは他のアニメーションに比べておとなしい……と言うか、地味だと思っていた自分にとっては心地よく台詞とシンクロさせたボディランゲージがここまでつけられているなんて嬉しくてたまりませんでした。動きで伝えられる強みを持っていて子供も食い入るように見る姿が嬉しかったです。(藤本先生も芝山監督も子供の反応を見て毎回、ダレ場の反省点を言っていたのを思い出します。)

<つづく>