嫌になったら休もう。休んだらまた始めよう ― 2006年03月29日 08:34
春は多くの人にとって生活の変わり目。人の話を聞いていても、どーも春はヤバい感じ。
自分もいろいろ一区切り。『もっと!ドラえもん』の刊行『モンチッチ』の漫画も終了。いろんな仕事が一区切り。これは胸の振り子が鳴る鳴る。
ありがたいことに仕事は一応あり続けているのですがリズムがまったくつかめない。のんべんだらりとPCに向かってるから仕事の効率がめちゃ悪い。
そんな気分だからブログにも見つめなおしの目が向けられます。
「そもそも何の為にやっているのか?」
ブログは仕事じゃありません。一銭の足しにもなりません。趣味の一つではありますが、それにしてもこだわり方や接し方考えると疑問です。
最近、親しい人でブログを知ってる人だとブログに言及してくれるくれるのをありがたく思っているのですが、季節のせいか表現次第でひっかかりを感じます。僕の生活がブログありきであるように意見されると軽くヘコみます。そんなにブログを大切にしている人に見えますかね。いや、確かに外から見たらカレンダーが埋め続けられていてそう見えるのも当然なのですけど。
ふとボランティアについての付き合い方の言葉を思い出す。嫌になったら辞めればいいし、いつでも戻ってくればいい。仕事でないのならば無理は禁物。それが長く続けるコツ。
自分にとってこのブログがボランティアだとは思っていませんが接し方の指針として”ボランティア的”な部分も意識しています。
(一番ボランティアな活動として当てはまるのはネオユートピアかな。離れまくってますけど。)
ブログは自分も、人も必要としそうな資料の糧になりそうな情報を生煮えであっても書き留めておけば後にお互いに助けになるのではないかと考えています。
タメになること、感心させたい、自己顕示欲、そんな感情に裏打ちされている活動がブログだと他人に思われると全て投げ出していっそログを抹殺したくなります。
でも、時間をあけて頭を冷やすとバカバカしい考えは消えます。ログが抹殺されても自分の生活、蓄積、人間関係、仕事、知識、そのたもろもろ全てがリセットされるわけではありません。「そして人生はつづく
どんなに無様になろうとも、誤解をされようとも人生は積み重ねて行くしかないと思うのです。おっと話がズレてるし何を言いたいのやら。
ブログはそこまで気負ってはいません。楽しければやればいい。嫌になったら辞めればいい。そして続けたければ続ければいい。
昨年も3月のブログは穴だらけです。
どうやら懲りずに毎年同じ事を繰り返しています。ブログなんぞやらないで仕事をもっとしよう。そう思って手を止めてますます生活の活力やリズムが崩れる。
仕事もブログも自分にとってはリズムが大切なようです。
駄目人間なりに、もう少し続けてみようと思いキーボードへ向かい直す春の日です。
今日のエントりーはグダグダだなぁ。
ちびっこチョロQカプセルvol.3昭和の思い出編 ― 2006年03月29日 09:54

車種としてはスバルもオート三輪も持っていますがだっこちゃんマークの入った塗装に惹かれてガチャガチャのハンドルを回す。毎度毎度の話ですが、目当てが絞られている時に限って、目当ては出ないもんです。
結局、狙いのその1種が最後の一つになり、意地になって両替機とガチャガチャ筐体を往復、揃えてしまいました。ダブリ数は……数えません。意地でも数えません!
Xフライドポテト、好き。 ― 2006年03月29日 16:13

フライドポテトは表面のカリカリした食感がモノ言う食べ物だと思うのですが、このX型にカットすれば表面積が大きくなり、楽しみ倍化!
お気に入りジャンクフードです。
『のび太の恐竜2006』劇場限定ピンバッジ ― 2006年03月29日 16:16

ギミックピンズで、卵が開閉するのがハマってるデザイン。映画も新生とかかっているタマゴデザイン。タイトルも刻印されて、記念グッズとしてピッタリ。
『のび太の恐竜2006』~全身で感情を表現する子供たち ― 2006年03月29日 16:17

一部の人に「あんなにグニャグニャ動きすぎるのはドラえもんじゃない」と言われているのを聞き愕然とした。その人の意図するところを正確に汲み取れて居ないのかもしれないが、動かないほうが良いような口ぶりに落胆をするばかりです。
芝山監督が行った意識的に「コマ四段割を引き写したような」無味無臭に近い演出は職人芸として評価することは出来ますが、クリエイターとして一番輝いていたのはそこから脱線するリール5巻目以降、もしくは本編から離れたお遊びの部分(予告編など)でした。
マンガを正確になぞることを美徳とするファンにとって、それらの作品は傑作足りえるのかもしれませんが、自分にとってはそれだけでは楽しくないですし、アニメーション映画として”映画化”すると言う作業としては不十分だと常々感じていました。実質半年で製作される体制を考えれば限界があったなどのハンディは充分承知です。
今回の映画が何よりも楽しみだったのは準備期間を差し引いても余裕ある”劇場アニメーション”が拝めると思うとそれだけでワクワクさせられました。そして結果的にスケジュールに多少の無理を感じるものだったとしても、よくぞここまで善戦したと思えるフィルムが出来上がったと思います。
やや、作り手に近い甘い意見かも知れません。しかし、自分は今回の映画の作り手ではありませんし、単なる一観客として例年のドラ映画以上の興奮と満足感を映画に感じました。
藤子漫画は極限までにシンプル化された画線で描かれ、キャラクターの造形もストーリーの余白も受けて側の想像力、読解力にゆだねられたものだと言えます。その余白に感じるものは人それぞれな部分があると言え、何も手を加えずアニメートすれば単純なフォルムの無機質が動き、口パクだけで話す図形アニメになってしまう危惧もあります。無論、そういうアニメとしての手法はあると思いますが『ドラえもん』は決してそういう素材だとは思いません。
等身大として息遣いある存在だからこそ子供達に絶大な人気を保ってきたキャラクターです。
ややオーバーな動きと言うならば、欠点としての指摘が出来そうですが、その躍動は全身で感情を表現する子供そのもので魅力的でした。
さらに面白いと思ったのが黒マスクのボディランゲージとの対比でした。
白人文化を感じさせるオーバーなしぐさは、改めて彼らが異文化の人間であることを感じさせてくれる効果的なアクション。愉快で、なおかつ不気味さを感じさせる面もあり良い演出だと感じました。
アニメーションは漫画と違って余白を読む媒体ではなく観客とリアルタイムで流れていくものです。原作つきのアニメーションの課題として、その余白に何を込めるか、読み取っていくかが”アニメ化”だと思います。
その意味、動かすことの楽しみ、受け手にとっては”動くことの楽しみ”に溢れた本作、それを楽しめないないなんて残念です。
漫画の余白は作者の意図したものもあれば、各自が思い浮かべる像が違うのも当たり前の部分もあります。それら各自の像との違いはあって当たり前。
原作を読んで自分が思い描く像と映画『のび太の恐竜2006』がピッタリだなんて自分も思っていません。でも、想像を超える側面を見せてくれたからこそ今年は楽しくてしょうがありません。
まだ、映画館へ足を運びそうです。
<つづく>
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