改めて映画『小さな勇者たち~ガメラ』2006年05月25日 18:45

ガメラの赤い石とトト誕生(超合金『小さき勇者たち~ガメラ』付属品)
やりたいことは重々伝わってくるのだけど、怪獣映画としては腹が膨れないし、子供の世界を描く作品だとしたらドラマの描くポイントがどうも消化不良と言うかアンバランスさを感じてしょうがない。それが正直な感想

ふと気がつくと試写会では2度も見たのに前売り券を早くに買いすぎて、どこに入れたか行方不明のまま上映が終わってしまった…!?
そして伝え聞くに成績はかなり悪かったとか。確かにコアな怪獣ファンは離れられてもしょうがないと思うし、子供にアピールしていたかと言われれば微妙だった気がする。

では、自分にとって『小さな勇者たち~ガメラ』は完全な失敗作だったのかと思い返すとそれは違う。むしろ昔の自分だったら、これこそ見たい世界観の映画であったといえる。

日常に異生物が入ってくる藤子漫画を愛し、愛嬌ある怪獣ピグモン、カネゴン、ブースカ、シーボーズと言った怪獣が好きでたまらなかった自分にとって『小さな勇者たち~ガメラ』の目指す方向性は大好きな路線。これで子供と怪獣の交流を描くドラマの語り口さえしっかりしていればきっと生涯忘れえぬ映画になったであろうと思える作品でした。
そういう意味では敵怪獣ジーダスの魅力のなさ、怪獣格闘の盛り上がりのなさ、かわいいデザインのガメラ、それらの点も怪獣映画ではなかったのだと納得し諦めることが出来ます。

作り手だって考えてはいる。平成ガメラのハード路線に対抗することはせず、新しい道を模索し目指した先には頷ける。雑誌の監督インタビュー記事を読むに少年と怪獣の交流を描くイメージに『アイアン・ジャイアント』のたとえが挙がったりするあたり、嬉しいし共感できる。

しかし子供を描く映画なればこそ、その手の映画好き観客として妥協は出来ない。(そもそも子供を上手く描いた映画だから子供の観客が来るキッズ・ムービーもしくはファミリー・ムービーになるかと言う公式もないので、そこにめがけて良かったのかも疑問が残るのですが。)
異性物との交流を描く映画としてもろに影響を感じたのは名前の挙がっていた『アイアン・ジャイアント』よりもその源流『E.T.』を感じた。
精神感応で少年と離れた場所にいる異生物が少年の動きとシンクロしてコミカルなシーンを演じるののは、『E.T』に源流が見える。台詞や理屈ではなく画面で伝える映画的な語りとして効果的に伝わるものがある。
いまどき『E.T.』かよ、と思う向きもろうが、自分は好きだからOK。
しかし、少年との交流はトトの行方不明と共に尻切れトンボのように終わり不完全燃焼。
ピンチに突然現れる大きなトトは確かにトトなのだけど、守ってくれる理由が交流を通した”実り”ではなくガメラの生物兵器としてのプログラミングなのかもしれない情報の揺れは効果的とは思えない。かわいいルックスの持ち主なのにトトの本心が見えない演出なので交流不足に拍車をかけて不鮮明なキャラクターに陥ってしまっていた。

なぜ自分の命を犠牲にしてまでガメラは人間を守るのか、作中でははっきりと解説しない。平成ガメラを通過していると人類を守る生物兵器だからとか、ぼんやりと想像される部分もあるのだけど、それらのぼんやりとしたイメージが都合のいいときだけ平成ガメラを思い出してくれ、とか逆に昭和ガメラを思い出してくれ、とかご都合に思えてしまったのが残念だった。
実際、試写会場からの帰り道の親子は「なぜガメラは人間を助けてくれるの?」と会話していて世代的には初代ガメラ世代とも思えない若い世代の親が「昔はガメラは悪いやつだったんだけどなぁ」とトンチンカン・トークを繰り広げていた。自分は”昭和ガメラなら正義の味方が基本でしょ”とか”平成ガメラは守護神として作られた生物兵器だから”と胸の中で答えていました。

平成ガメラ2の『レギオン襲来』の真逆を行く”自己犠牲は決して美しくないよ”と言う語り口も思想は否定しないがクドいわりに説得力がない。
否定するからといって自衛隊の描き方をあそこまでズサンにしたフィルムではあまりに一方的な妄想を描いただけだといわれても致し方ない。

テーマとしての親子は物語のカラクリとしてシンプルに分かりやすく配置されている。人間の親子を描きつつ少年とトトが同じく親子のようになるシンメトリーな配置は明解で分かりやすい。
しかし、逆に言えば怪獣災害の中を進み父親が進めない状況を作り「行け!」と送り出す感覚は中身のない美談のように思えてならなかった。
ラストに少年がトトを自衛隊から逃がすために立ちはだかり「行け!」と言うシーンに呼応させているのは分かるのだけれど、親は自分の身がどうあろうと子供を守りたいと思うほうが自然で一般的だと自分は考えている。
ガメラと少年のシーンならばいざ知らず、人間の親子がピンチに陥ったとき潔く子供を信じて送り出す父親が”信じている”からと言うだけで、道を進むことを諦めさせて良いのか疑問に思う。送り出すにしても他に描き方があったのではないかと思えて仕方がない残念なシーンだった。

繰り返すが自分はこの映画が”わりと”好きだ。だけど内容は褒められない。つくづく惜しい作品だったと改めて書き留めておきたい。

書き飛ばしでお目汚し失礼!

コメント

_ ゑび庵 ― 2006年06月08日 19:15

うーん・・・流石・・・
自分も観て来たんですが、好きな方だという結論を出したものの、なんか釈然としませんでした。
自分の中で、たくさんあったツッコミ所を猛烈に拒否しながら観ていた気がします。
成長したトトガメラがスプーに似てるからなのか(笑)、とかなんとか色々悩んでたんですが
なんかスッキリしました。

_ しらいしろう ― 2006年06月09日 01:22

ゑび庵さん<
どもども、スッキリしていただけたのなら幸いです。
こういう場合、バッサリと駄目だった言える方が気持ちいいかもしれませんね。(ヒドイ)
子供にも受けるやさしい作品を目指すこととテーマを追求する時に手加減(=やさしく)するのは別の話だと感じます。
ようは、やっぱり「ヌルい」んですよ。たぶん。
一瞬スプーってって何だっけと思ったのですが数秒考えて分かりました。確かに似てるかも……。

_ ガメラ医師 ― 2008年10月03日 19:05

 こんにちは。2008年10月3日の記事からリンクを辿ってやって参りました、「ガメラ医師のBlog」管理人のガメラ医師と申します。
 今回こちらの感想記事を始めて拝見しまして、小さき勇者たち初見時のもやもや感が確かに晴れる気が致しました。
 こちらで御礼申し上げます。

_ しらいしろう ― 2008年10月05日 18:16

賛同のコメントいただき、ありがとうごじあます。励みになります。

本人は書き飛ばしで、文章荒れているのと思うのですが、そのままでも公開しておいてよかったです。(;ー。ー)=3ホッ

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