「mixi疲れ」に「足あと恐怖症」って?2006年10月11日 18:51

あしあと
SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)のmixiの株が上場して最初は凄い高値、そして暴落と世間を騒がせています。少なくとも”株”は自分には関係ナッシング。1ユーザーとしてのみとしてのみの関心ごとです。

サイトmixiの利用もそろそろ2年たつので、目新しさは消え、飽きが出ているのも正直な感覚です。
そんな中、最近になってマスコミが「mixi疲れ」「足あと恐怖症」などを取り上げるようになって、そこまで一般性のある事なのかと驚かされています。

「mixi疲れ」を心理学から考える 2006年07月21日 IT media news

人に見せ続けることが出来る日記なんてネタが限られていて当然。
でも、日記をつけ続けることに意義を見いだす人は少なくないようで、自分だって人のことは言えない。
自分のブログは日記要素が少ないですが、何かしらネタで埋め続けている点では指摘ループの内側。過去に「ブログ燃え尽き症候群」的義務感もありました。今でも小さな義務感は残ってるような気もします。

でも、ブログで発信している気分になったら作り手として腐るだけ。適度な距離をとることを少し覚えたくらいのところです。
チャット感覚で軽く書く。今のスタンスはそんな感覚です。

足あと恐怖症は”足あと”って機能の名前も、いけないのかもしれないのかと思います。土足で進入されてるような、踏みつけれているようなイメージが浮かぶし……。

mixiは管理された内側で安全な場所のような錯覚を持って無防備な人も多いのかもしれなけれど、公開レベルを調節して日記をつけたって、公開をしていることには変わりない。一度リリースした情報はそんなに簡単に管理されるとは思わない。
それにやっぱり見ず知らずの大勢がいれば最低限の防備は必要に思うし、足あとにそんなに意味を見出したら外でチラっと見られる全てのケースを気にかけるのと同義で疲れて当然。
人間だから多少はどんな人が閲覧に来たのか気になるし、色々感じる事はありますが言い始めるとキリがないのはどんなケースも同じ。それに肝っ玉が小さいのだってお互い様だと思うけどなぁ。自分だけが繊細だと思うなかれ。みんな些細な事で傷つけ合って生きてるさぁね。

結局、オンラインとオフの溝は限りなくデカイけど根っこは一緒と言うのが自分の感覚です。

mixiが管理された中で何かぬるま湯のような空間だと言う指摘もごもっともだと思います。でも、mixiの管理社会的気持ち悪さは望まれて生まれたものだと自分は思ってます。
でも、恐怖の本当の対象は”足あと”じゃなくて人間。出来ることなら信じて安心できれば一番なんですが。

……あ!、自分は今のところ「mixi疲れ」も「足あと恐怖症」も起こしそうにありません。知人に心配を引き起こすために書いてる訳ではありませんので、追記しておきます。