トビックス迷語録2007年01月31日 03:28

トビックス迷語録

改めてフィリップ・ノワレPhilippe NOIRET話2007年01月31日 16:19

POST CARD/ Collection Cinéma / Philippe Noiret / Photographie Luc Roux / Studio Magazine
フランスの俳優フィリップ・ノワレ氏が亡くなってから二ヶ月たった。
時折、胸に冬風とは違う寒さを感じるけれど、それはそれとそして残されたものを楽しもうという気持ちに切り替わってきた。

以前コメント部分でも話した、某掲示板で見かけた言葉”「ニュー・シネマ・パラダイス」の中で死んで居るのだから訃報にショックはない”と言う意味の書き込みは面白い評価だと時々反芻しています。

一般的に考えて日本でフィリップ・ノワレの一番の当たり役と言えば「ニュー・シネマ・パラダイス」のアルフレード役に尽きる、それに異論はないでしょう。 名バイプレイヤーとして脇に徹する経歴は役者ではなくあくまでも俳優を目指した結果とも言えます。自分が感じたファースト・ショックも正にそれでした。

幸いとい言うか、ノワレ出演作品で最初に見た作品は『フレンチ・コップス(原題:腐った奴、1984年)でした。この映画は悪徳警察官が権力にモノを言わせて美味しいところだけを頂く、セコくズルい、そして人間らしいところを覗かせるキャラクター”ポワロン”を演じました。フランスでは近年パート3が公開されたほどの人気のあった作品で同じキャラクターを長きに渡り、3作品も演じることになった他に例のない当たり役です。残念ながら日本ではパート3どころか90年代に公された続編すら未公開なのですが……。

とにかく、それだけ強いキャラクター性のある映画であった『フレンチ・コップス』を先に見ていたのに『ニュー・シネマ・パラダイス』で再会したときには同一俳優が演じていることを信じることに時間がかかるくらいの演じ分けに驚かされました。
両者に共通……と言うよりはノワレ作品に共通する飄々した味が重い役の時には妙にコクになっていてズルズルと色々な作品にハマっていきました。

映画だけでなくフランスの映画雑誌や大衆紙『Paris Match』で覗かせる役を離れた素顔がまたギャップがあって、興味尽きませんでした。
しかし悔しいかなフランス語が全く読めない自分にとって本文部分は殆ど謎のまま。日本語になっているノワレ氏本人の言葉と言えば『ニューシネマパラダイス』のパンフレットの記事のみ(これも実は転載だと最近気づいたのですが……。)。
素顔がはっきりしないまでも画像と言うものは多くのことを語ってくれました。
シガーを愛煙し、日本人には見慣れない少し派手目なファッションセンス。
スティーブン・スピルバーグ監督が『未知との遭遇』でオファーしようとしていた役は出演料の高さで断念されトリュフォーがやっている例などを思い出しても、いい生活をしているのは分かるのですがそれが嫌味にならず、俗世離れしたとぼけた味わいを感じるというか。
訃報記事を探す中で出会ったあるエントリーは素顔を強く感じさせ胸をえぐりました。
Virginie Ledoyen et le cinema francais
多くの映画人が弔辞を寄せていますが、旧友ジャン・ロシュフォールの言葉が最も感動的だったので以下試訳。

「大貴族のような奴だったよ。気品をいうものを彼から教わったんだ。(亡くなる)4、5日前、彼に会った、彼の部屋まで行ったんだ。自宅で妻のモニク・ショメと娘のフレデリックに看取られていた(訳注:ガンで闘病中だった)彼の姿に動転した私を見るとこう言ったんだ「あぁ、泣かないで、僕らには(涙は)似合わないよ!」彼に勇気をもらったよ。すぐに彼の手を取った。手に手を取り合う馬鹿二人って感じだったね。若い医者がやってきて、手を握り合う老人二人を見てにっこりしてた。それで勇気が出たんだ、この医者が微笑んでくれたことでね。勇気を出して聞いてみたよ「(死ぬのは)怖いかい?不安かい?」ってね。彼はこう答えてくれた「こんななりで酷いもんさ、もちろん不安だらけだよ!」こうしてる間、彼は私をずーっと笑わせてくれてたんだ。あれはエレガンスの極みってもんじゃないかな」

死の間際まで笑わそうとする旧友とのひと時。『パトリス・ルコントの大喝采(1996)』で見せたロシュフォールやJ・P・マリエルとのバディぶり、体を壊し薬を飲むときに娘の前で力ないジョークを見せる『魚のスープ(1992)』、幽霊になりビデオゲームの世界に入って息子を元気づける『運転手つき幽霊(1995)』、貴族的なムードをたたえる『最後の晩餐(1973)』『タンゴ(1992)』のエレガン……、数々の映画の記憶に一瞬、素顔のフィリップ・ノワレを重ねフラッシュバックする。

M・マストロヤンニが著書の中で、役作りの苦労話を自慢するような同業者を揶揄しながら、自分にとってそれは苦労ではなく楽しいものだと説いた。楽しんで演技をするその感覚はフランス人の使う言葉ジュエ(Joue)<遊ぶ=演技も指す表現だそう。>に一番近いと話していた。

ノワレ出演作はコメディも強く、逆にどんなに陰惨なテーマを演じていてもJoueしていたのではないか、そう思うとまた違った愉しみ方が出来そうな気がする。再鑑賞が楽しみになってきた。

『ニュー・シネマ・パラダイス』のアルフレード役はシナリオ執筆時はM・マストロヤンニを想定してた。そのイメージを想像しながら、どうノワレ氏が演じているかズレを想像するのも楽しい。

遺された仕事は膨大だ。時分は一生かかってもその全てを愉しみきることはないだろう。そう考えると寂しさも小さいと改めて思えるのでした。