あれから6年 ― 2007年09月12日 17:04

現地の再開発が進み、今年は場所が隣の公園に移されたと報道されている。
テロを忘れないために、伝えていかなければならないと参加活動しているスタッフが語っていた。
6年の間にはいろいろありました。
テロの記憶を残すのは大切なことだとは思うのですが、恨みや感情論にしないためのバランス感覚は難しそうだと思った次第です。
※画像はヨーロッパのメガタゾ、“FLIPO(フリッポ)”から、「ワールドトレードセンター」。1996年リリース。
コメント
_ LOU ― 2007年09月14日 00:26
_ しらいしろう ― 2007年09月15日 05:19
思うに、定着しないだろうと思ってますが、どうなることやら。後年、あだ花として振り返られることになりそう。
被害者のバランス感覚って、難しいですよね。
当初、本文を書くときヒロシマ、ナガサキを引き合いに出そうとして思いとどまりました。テロの話と比較するのは趣旨がズレそうだと。
チャット感覚でエントリーを書くを基本にしていても、無責任なことは書きたくないとなると部ログって奴は難しいです。
ネットでのコミュニケーションは、時として感情論にズレがちに思えます。少なくとも、自分はそっちに流されないように気をつけたいと思ってます。
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自分も同感です。時として被害者というのは、
自分が「絶対の正義」の側にいる、と思い込みがちです。
もちろん被害に遭われた事に対しては、痛ましく思いますが、
だからと言って、何をしてもいい、というわけではありません。
最近海外アニメ系で話題になってる、
某作品の声優さんがごっそりと取り替えられてしまった件で、
似たような事をずっと考えてました。
もちろん悔しい気持ちは解るんですが、あまり感情的に
なりすぎるのも、どうなんだろうなあ、と。