映画『題名のない子守唄』 ~トルナトーレ最新作 ― 2007年09月18日 23:41
先にサントラに耳を通してしまっていたので、多少の予想はついていたものの前半のサスペンスフルな演出とフラッシュバックする過去の映像は『記憶の扉』を思い出させるし、目を背けたくなるほどの暴力やショッキングなシーンはデビュー作『“教授”と呼ばれた男』を思い出し、以降の作品でもたびたび感じる悪趣味な嗜好を感じる。“愛情”が時として醜くはみ出す瞬間をエグり出すドラマはトルナトーレらしいまなざしを感じる。そして、ある種グロテスクとすら言える愛の形を観客に共感を持って受け取ってもらう伝達力。すばらしいです。
エンニオ・モリコーネの功績は改めて言うのも野暮なのかもしれませんが、今回ほど音楽によって難しい部分を表現、補佐してもらっているケースは珍しく、そしてそれが成功していると強く感じさせられました。
もう、最後に溢れる涙を止めることが出来ませんでした。
世間一般的にはトルナトーレと言えば『ニュー・シネマ・パラダイス』『みんな元気』『海の上のピアニスト』『マレーナ』による、“やさしい”映画作家なのでしょうが、陰の作品群とも言える『明日を夢見て』『記憶の扉』といった作家性も見続けてきたファンからすれば、よくぞこの陰と陽がクロスオーバーするような作品が仕上がったものだと、ひとつの到達点を感じる作品です。
前半の“何が起きているのか!?”という緊迫感のある展開から、あのラストへなだれ込むとは、スゴイ。
終盤で感じる感情、溢れる思いで観客が流す涙は決してサプリメントとして映画を楽しむ涙とは一味違うものでしょう。
監督自身がパンフレットの中で、今回の作品で観客が流す涙について、以下のように表現していました。
GT:(前略)映画を見終わると観客は泣いていたのです。それも「ニュー・シネマ・パラダイス」を見た時に流した涙、いわば気持ちのいい涙とは違う、もっと深いところから流す涙を。(後略)
世界的な出世作となった「ニュー・シネマ~」はおそらく、監督自身にとって越えるべきひとつの指針なのでしょうが、出世作をこんな風に言い切ってしまうところにトルナトーレの偏屈爺さんぶりを感じる表現です。(トルナトーレは若いときから、“偏屈爺さんキャラ”の監督だと自分は思っています。今も、爺さんと呼ぶには若すぎますが。)
作品カラーの陰と陽の傾向から言えば、今回は陰の傾向が強いので、ヒットへの道は難しいかもしれません。しかし、このトルナトーレの新境地は誰しもが理解できるものを描いています。映画が好きなら是非、お見逃しないように!と言いたい一本です。
早々に終わってしまいそうだから……。
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