ペロタン/ロード-ランナー&ワイリー・コヨーテ台紙 byグリコ(1996) ― 2008年05月06日 16:33
円形のチョコレートに棒がついたロリポップ形のチョコレート商品で、チョコ部分にはキャラクターのプリントがあるのがオリジナル状態。そのチョコを取っておこうとチャレンジした末路は、グロテスクな結果に……と言うお話。
この手は保存できないだけに、思い出の中で楽しむコレクションと言えそう。お菓子はみんな、そういう物ですね。
藤子ファンが怒りを覚える放送 ― 2008年05月06日 20:27
印税でもめてグループ活動は難しいと言う引き合いに藤子先生を例に出すその日のコラムニスト吉田豪。
「藤子不二雄先生とかもね、漫画家ですけどF先生はギャラ全部折半にしたんですよね。実は。だからA先生の作品てそんなに売れてなくてもF先生のギャラが半分入るんですよ。だからゴルフやったり麻雀やったりとかできちゃうんだよ(半笑)。でも結局それは家族とかがモメちゃうじゃない。みたいなねぇ、ことがあり。」
■TBSラジオ ストリーム:http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/2008/04/428_c6e9.html
ファイルもあるので聞ける。19:50あたりから、この話題。
まてまてまて、これは冒涜はなはだしい。名誉毀損。まるでA先生は仕事が売れない作家でF先生の儲けで遊んでるみたいな言い方だ。確かにギャランティの計算が折半の時代が古くから続き、国民的ヒット作品のあと、それぞれの仕事で入るお金にムラはあったように見えるが、この言い方は一元的すぎる。
藤子不二雄は1951年デビュー。食うや食わずの時代を共にし、「二人で一人」の作家として活動し、実質合作をしなくなった時代も二人三脚の作家性をキャッチフレーズに活動していた。その長い時間をすっ飛ばし、部分的にしか物を見ない意地の悪さ。
そして、まるで仕事はF先生だけにさせてA先生は遊びに出ていたかのような言い方。これは事実誤認はなはだしい。おそらくこの吉田豪と言う男の指す時代は年齢からしても“ドラえもんブーム“をイメージして話しているのだろうが、週刊誌連載を2本を常に抱えていたこの時代のA先生の仕事量は、掲載誌数こそF先生に負けているかもしれないが、F作品のページ数の少なさを考慮すれば月産ページはA先生の方が多かったはずだ。
キャラクターグッズや単行本の印税など、仕事量に関係なく収益になる部分を見れば差は出るが、当人が実質する仕事に対しての差を語るならきちんと裏を取って言って欲しい。
座って唸りながらアイデアが出るまで考えるスタイルの作家と、ヒントを外に探しに行く作家をつかまえて「外に出るほうは遊んでる」って言う着目は本質を見ていない。
ゴルフや麻雀をやるのは、無駄に時間を過ごす遊びとでも言いたげだ。どうやらこの人は、日本初の本格ゴルフまんがを誰が描いたか分かっていないらしい。A先生がギャンブル漫画を多数描いていることも知らないのだろう。
藤子不二雄は面白い作家で、一見似たような根っこを持ちつつ、まったく違うフィールドや個性をもった作品群がひとつの名前によって発表されるブランド・マジックを持っている。
かたやインドア派でかたやアウトドア派。インドアって美徳なのだろうか。
漫画家は遊びも仕事と言う側面がある。客観的に見れば実りあることをやっているのか分からないような時間の過ごし方も実は作品に生かされる。A先生のゴルフや麻雀はまさにそれにあたるというのは作品を読めば明らかだ。
逆に言えば吉田と言う人は作品は読んでいないようだし、自分で取材し藤子関連のウラをとる活動をしているとは聞かない。伝聞で仕入れたことを分かったように言ってるのだろう。
吉田の嗜好がF作品側だったとしても、こんなにF伝説に加担し、A先生の名誉を傷つけるような発言は覚悟をもっての上なのだろうか。A先生はゴルフや麻雀のお金すら稼げない作家とでも言うのだろうか。コンビ解消後も変わらず趣味に生き、作品に生かすA先生をどう説明するのだろう。ぜひとも発言には責任持っていただきたいものだ。
F先生が亡くなってから“藤子F不二雄伝説”が美化されるたびに、比較の反動なのか、A先生を蔑むような発言を耳にする。こんな発言をきくたびやりきれなくなり、出来る時は説明をするが、無力さも感じる。
こうやって公共の電波でも偏った考えが再生産され、よく知りもしない人たちが偏見を持って藤子不二雄と言う作家を見るのかと思うと寒気がする。
少なくともこのコラムニスト・吉田豪が無責任に偏見を再生産したがる人だと言うことは良く分かった。今後は注意しますよ。
こういう発言(放送)に惑わされるファンは少ないと思うけど、一般人は知らないから信じちゃうんだろうナァ。ゲゲゲのゲー(嘔吐)。
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