吹き替えや翻訳にこだわりアリ?ナシ?2009年03月15日 23:39

違和感
自分がそういう趣味の人たちとつきあい、ネットでもそういうコミュニティで閲覧するからなのだろうけど、子供のころに慣れ親しんだ翻訳や吹き替えキャストと違うので嫌だと異口同音の内容を見る。

具体的な例を挙げるなら、キャストが一新された2005年の『ドラえもん』のリニューアル、ソフトがリリースされる時代によって吹き替えが違うものになってしまうディズニーアニメーション、TVの吹き替えがソフト化されない『トムとジェリー』なんて例が自分のフィールドに引っかかってくる。

同感する部分はあるし、一部には“そのとーり!”と思ってしまうこともあるが、たいがいは話題に参加できない。理由は簡単。ほとんどにおいて感情論だから、次の話題がないのだ。

サンプルがまとまるのは意味があるとは思うけれど、個人の感性の並列情報。その中で前向きな論議は発生しようもない。せいぜい自分と似た趣向の人を見つけて共感を得る満足感しかない。(自分の場合、趣向がずれてるので共感すら得られないのだが。)
自分の好き嫌いを発表するだけで、満足されるならばそれでいいと思うが、延々と読みたいものではない。かと言って統計を取るのも、自分は専門外。数字に変えるのは関連会社がマーケティングしてくれれば一番いい。採算があればソフト化へ実現する可能性だって……。

例に出した3例で言えば現在の『ドラえもん』は3代目キャスト(ドラは4代目)として歓迎している。
問題なり危機を感じるのは後者2例の海外アニメーションの日本語吹き替え版。

そもそも何故、吹き替えが変更されていくのかの理由がはっきりしないので、ここは仮説で進めたい。

理由1、権利関係。
ソフト化という概念もなかったころ製作された吹き替えには、ソフト化に関する契約がない。新たな契約を結ぶより新しい吹き替えを作る方がが楽な場合、そうするのは当然。ミュージカルアニメの場合、歌曲部分に別な音源の権利が発生することも、想像に難しくない。

理由2、日本語の変容と周辺。
80年代以降の“言葉狩り”もあり、自主規制的に表現を変える可能性。また放送や出版のコードによって、世の中で耳にする機会がなくなった背景も、新参の子供には分かりづらい翻訳になってしまう弊害が起こりうる。一部の表現なら箇所の差し替えで済むが『白雪姫』の“抜け作(現:おとぼけ)”や『わんわん物語』の“のら公(現:トランプ)”のように名称が変わってしまう場合は修正箇所が多すぎて新録の方が、効果的。
親が子供に与えるアニメーションというポジションも、問題に敏感にさせてしまう気がする。

理由3、常に新しく保つため
80年代のリバイバル公開時には“最新吹き替え版”などの冠をつけて、“新しいこと”もセールスの材料になっていた。
そういえば“新しいもの好き”のお客さんも層がありそうだから、むしろ“売り”とする風習があるのかもしれない。

理由4、権利延長?
話は録音からはそれるが、デジタルリマスターでリバイバル公開された『白雪姫』にはリマスタリングされた年号がコピーライト表示されていた。著作権の延長でいろいろ言われるディズニー社らしい対処だが、修復にオリジナリティが存在しない限り新たな著作とはいえない結論が出される例となっていた。

そこからの勝手な想像ではあるが、吹き替えは翻訳の違いやキャスティングでオリジナリティが出る箇所。これで正規版の権利主張、アピールとも思えるのだけど、実際にはずいぶん早いサイクルで変更が行われているので、“権利延長のため”という推察は濡れ衣なのだろう。

理由、その他。
思いもつかないような意外な理由。思いつかないので、推察できない。

ざっと考えると結局は理由1の権利関係だと思うのだけど、これが最近問題を感じるようになってきた。

最近安価に手に取れるパブリック・ドメイン作品が500円前後で並ぶ棚にディズニーアニメや『トムとジェリー』が並ぶようになってきた。これらの一部には新たな日本語吹き替え版が独自に作成され収録されている。

翻訳書が“新訳”で出るのは理解できるけれど、ここにきてかつてのアニメーションの“翻訳”の価値を浮き彫りにしている状況になった。

むろん現在発売中の正規版と比較してクオリティーを確認するのもいいと思うが、自分はどちらかといえば時代性を抹殺して新録音を重ねてきた作品に注目したい。
ディズニー作品で言うと『わんわん物語』以降が、リアルタイムで吹き替え版を作成し公開してきた作品群。同時代性の価値は、その一瞬しかない。後からどんなにクオリティーをあげて塗り重ねても“最初”の価値には及ばない。(数年遅れになった『わんわん物語』以前の作品も“初もの”であるオリジナル版は重要。)

TVシリーズのような作品は長い年月で何度も聴く機会があり、多くの人の記憶に残り、変更されると騒いでもらえるが、普通1度きりになってしまう映画の吹き替えは覚えている人も少なく、“感情論”で叫んでくれる人すら少ない。
時代を語る資料性なら、同等かそれ以上に“価値のある作品”である“吹き替え音声”。自分は機会あれば“日本オリジナル”に日の目を浴びせてほしいと思う。

昨年の『ディズニーフィルム・フェスティバル』で上映された作品群は結局最新版のものであったらしい。
“ソフト”ではなく劇場の興行だからこそ可能な作品は積極的に、ぜひとも旧吹き替えをかけてほしかったところ。

改めて作品を鑑賞する機会すらないものは、本当につらい。

最後に、考察を置いといて個人的な感情論で言わせてほしい。
“のら公”のことをトランプと呼びたくない! オリジナル日本語発声版の『わんわん物語』を聴かせてくれ!
「こんちごきげんだね、トムさん」の名調子を『トムとジェリー』で聞かせてくれ!

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