僕がドラ単行本の版にこだわる訳 ― 2009年06月21日 18:57
ある程度の年齢になってから、カバー付の初版を目指して買い増ししていました。途中ネズミにかじられる被害を経て、後退するも友人の助力もあって残り3冊までコマが進みました。ここ数年は壁にぶち当たり、しばらく進展していませんが。
なんで初版にこだわるのか……中学生くらいの時には、単にコレクターズ・アイテムでした。オンタイムを気取れる、自慢アイテム。そんな志の低い話。実のところ、今だってそういう気分はどこかにあるでしょう。でも、いつしか研究対象として集めているのだと自覚できるようになりました。
長い年月にわたって重版を重ねた単行本は当初とは姿を変えた部分も多数。一番大きいところでは著者名すら、変わってしまったのですから。 他にも経年によって変貌した部分。色味を補正し続けた結果、初期の印刷とは似ても似つかない色合いになった表紙。
鼻の影の色はずいぶん前に消えました。
それだけでなくカバーを外した本体のオリジナルイラストも消えて久しいです。
本文扉も同じ時期に変更になりましたっけ。
色味や中身の改変のない初期の版はそんなに魅力的かと言えば、そうでもありません。時期によって一長一短があります。
第一巻だけで言えば70年代の初期版は本文がカスレ気味。ヒゲの無いドラえもんやカスカスの線など見苦しいところが多数見受けられます。
早々にその製版技術が問題視されたのか製版をやり直したのが80年代初頭。きれいな印刷となると共に、中身も絵のミスを修正するなどの手が入れられていました。
重版で劣化を続けていた版は近年になってデジタル製版になりました。スキャン素材の問題か、解像度の問題か画質は更に低下。モアレぎみのトーンやデジタルのギャザが見える主線は、興ざめ状態です。
手に取るたびに「あれ、これ違うよ。」と思うのは気のせいではないのです。ある意味、変化するからこそ興味が尽きないというマニア病なのかもしれません。
だいたいの場合、雑誌から単行本になるとき手をいれ、ミスは修正されます。それでも初版は修正モレもあったりして、しばらく重版が良くなる方向に向かっていきます。更に数年すると伝言ゲームのように情報が劣化する現象がお決まりのパターン。
今までも大長編の単行本表紙の劣化、ミスを観察するエントリーをあげてきましたが……ようするに気になるんです。良くなって欲しいから、つい見ちゃう。なおかつ作者の意図や出版状況などの影を感じるテキストとして、面白い。
例えばこれ。
もはや間違いで刷られた部数が圧倒的に多かったと思われる「スパイ大作戦」のせりふの間違い。順番が入れ替わっています。正解は以下。
70年代は正しく入っていたネームがいつの間にか順番が間違われるようになり(FFLも間違いバージョン)、長らくこのままでした。近年になって一度、修正されて正しい重版があったのですが、しばらくしたら間違いに逆戻りしています。これは現場で、更なる重版のチェックで、付け合せたテキスト(版)が修正前の間違いを見本にしちゃったんでしょう……。次に直るのはいったい、いつになるのやら。歴史は一度勢いがつくと、なかなか変わらないのです。orz
「昔はタケコプターはヘリトンボと呼ばれていたよね?」なんて話題をするオールドファン。では、初期の版はすべてヘリトンボだったかと言えばそれはNo。ヘリトンボとタケコプター以外に「たけコプター」なんて表記が混在していました。シンエイアニメ化の後の重版からタケコプターへ統一されたようです。
ドラえもんはいい意味、適当な漫画だったのでその矛盾を作者だけでなく編集者がいっしょに踏み固めた作品。それらを観察、研究するには初版(と重版)が必要です。(コレクションの言い訳じゃなく! 実際、ごくごくわずかに役にもたってる事もあるし。)
※註)エントリー内の版数はサンプルを指すだけで、改版の切り替わりを示すものではありません。
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