映画『100歳の少年と12通の手紙』 ~不公平な人生への讃歌2010年12月14日 23:59

映画『100歳の少年と12通の手紙』
14日は東宝系が「トーフォーの日=14日」というコジつけで映画が1000円で見られる日。
貧乏人はこういう日を使って生きています。

そう、自分は生きるために映画を見ているのだ。

しかし、選んだ映画の宣伝文句は逆に映っても仕方がないかもしれない。
『100歳の少年と12通の手紙』は、余命が少ない少年の、一見するとお涙頂戴の難病映画と言われてもしょうがないあらすじだ。
余命が少ないから病院や両親からは腫れ物を触るように扱われ、そこに疎外感を感じる主人公オスカーは病院で出会った口の悪いオバサンに親近感を覚える。彼女ならば自分を特別扱いしないと。そうして、病院ではどうやって使ったらいいか問題だった主人公のもとに通うようにオバサンに仕事を依頼する。
しかしオバさんは慈善なんて大嫌いの、生活を第一にした女性。そんな“余命のない子供のお守り”なんてまっぴらゴメンと思うのだが……。

大方の予想通り、以降は二人の間に特別な時間、関係性が流れる展開だ。
その意味で言えば俗に言う「いい映画」っていう枠の作品なのかもしれない。
でも自分はいわゆるソレ系の作品のスレスレを好んでしまう傾向があるので、ハズレを引いたときにはトンデモなく胃にもたれてしまう。しかし、今回はアタリだった。何しろ、主人公オスカーの「特別扱いされたくない」というスタンスや「慈善なんて!」というオバちゃんのどちらの性格の中にも自分と共有できる核を感じていた。

そして展開される物語が「失われるものへの悲しみ」という陳腐なものでなく、「正面から見据えた」「現実」、不公平や、人間関係の難しさや、人生の移り変わる感じ方や……。それら「生」を輝く讃歌で謡っていた。 視点をズラしたからこそユーモアやファンタジックたっぷりな世界になっているが、描かれているものは決してきれいなものばかりではない。でも、そこがすばらしい。

同じ原作者の映画化「イブラヒムおじさんとコーランの花」も好きな作品だけれど、少しずつ原作者(本作は監督でもある)に興味が沸いてきました。未見のもう1本も観たい。

邦題になっている『100歳の少年』とは、オバちゃんに言われた一つの考え方からとられたものだ。1日を普通の10年と考えて、今日は10代、明日は20代と普通の人生を照らして考えてみようというアドヴァイスで、10日生きれば100歳と言うわけだ。

『100歳の少年』オスカーが、親は「健康な自分しか好きじゃないんだ」と悲しむシーンがあって、胸が締め付けれた。そして彼が「病気も自分の一部だ」と明言したときは、更に胸が締め付けられた。映画とはいえ、その境地に人間がたつことの重さ。
負をも自分の一部と言い切れる彼の哲学に自分は見習いたい。

[2010/12/20エントリー公開]