3.11 その時の自分2011年03月11日 23:52

この何週間かイラスト仕事でバタバタしてて、そうでなくてもタイトなスケジュールを風邪でスタート出遅れて、そもそも無理が、いっそう無理な状態に。そんな仕事なのに更に修正が発生。その修正箇所を打ち合わせにライターさんが我が家まで車を飛ばしてきてくださることになりました。

前夜も朝まで作業をしていたので仮眠も遅い起床。午後になってから電話連絡で目覚め、のっそりと起き、打ち合わせに備えて着替えをしている最中だった。

コトコトコト、ミシミシミシ。

我が家は築100年を越える古い木造家屋。その経年で出る不具合をつぎはぎしながら、今でも暮らしている。そんなふるい家屋の二階にオタクの荷物をビッシリ詰め込んでいて、「二階が抜けるから、モノを捨てなさい!」と言われる実家住まい。いい中年男が、親にいまだにしかられているのだから、始末が悪い。

軽いキシミ音で始まった、地震に「ツイッターで“地震なう”と打とうかな」と思った瞬間、その考えは“地震を舐めている”ということ思い知らされる大きな揺れへと増大した。家の中の棚ら荷物が飛び出し、不安定なカラーボックスは自分に倒れてきた。
二階の部屋だけど、まさかのために物干し台への窓を開けて、逃げ道の確保。もう、そうなった頃には何も出来ない。階段を下りるなんて出来そうもないし、立つのもままならない。窓にしがみつき、家がつぶれないことをただ祈るばかりだった。

幸い、親は留守だった。
要介護認定を受けている父は週二回のデイサービスへ出かけている最中だったし、母は近所へ買い物へ出かけていた。“まさか”が起こったとしても、死ぬのは自分だ、そう思っていた。

ゆれている瞬間、家は“容器”であることを体感していた。
細かな荷物をシェイカーに入れて振っている。それが、正に自分の部屋に起こっていることだった。先ほどまで寝ていた部屋、いつもPCをしている“荷物だらけ”の部屋から、騒々しい音が鳴り響く。いや、外からも悲鳴や、何かがひっくり返る、大変なことが“ここだけでない”ことを示しながら、響き渡っていた。長い長いその恐怖の時間。

やがてピークを過ぎ、収束を迎えるように感じるが、小さな揺れは続いているような感覚だった。部屋の中は、倒れた棚から荷物が散らばり、ひどいことになったが、この部屋は他の部屋に比べれば“オブジェ”が少ないほうだ。
事態の重大さをまだ意識していなかった自分は、iPhoneで部屋の状態を写真撮影してツイッターに投稿した。
崩れる荷物

まずは、部屋を出なければとドアを開けようとするが、開かない。「もしや家がゆがんだ?」と思ったが、そのせいでドアが開かないのではなかった。押し戸の向こう側に向こうの部屋の荷物が崩れ落ちて、押すこと出来なくなっていた。わずかに開く隙間から手を出して、荷物をかき出し、開けなければ……。

そうこうしているうちに遠くから母が叫びながら帰ってきた。
「よかった、家がつぶれちゃってるかと心配した! 大丈夫?」
自分は階下に「閉じ込められた」と答えていた。
言い終わるのと同じくらいのタイミングでドアを身の幅ほど開ける子tが出来た自分は、するりと廊下へ出た。廊下に本を積み上げた自分が悪いのだけど、その本のせいで通路は“通れるところ”がなくなっていた。心配のあまり、本を踏み、自分の寝室を覗いた自分は驚愕した。タンスは倒れて、先ほどまで寝ていた自分の寝床に倒れ掛かっているし、壁際につみあげていた荷物がカクハンされてすりきり一杯、胸元まで荷物がグチャグチャ。あのまま寝ていたら、自分は荷物の下敷きになっていた……。
寝室の有様。タンスが自分の万年床に乗っかっている

<つづく>

[※2011/03/23公開]

トニー・フーチリの絵本「Bink & Gollie」買った!2011年03月16日 01:59

Bink & Gollie / Kate DiCamillo , Alison McGhee , Tony Fucile
久々に町へ出た。仕事もあるので、本の街、神保町へ出た。
街角で時折足を止めるのだけど、気晴らしに本を欲しくなる反面、「紙って重いんだよな」と、家に散らかる荷物を思い浮かべて、物色の手を止めてしまうのでした。いや、本当に家では冗談ではない状態が待っているのだ。

その躊躇を何度か繰り返し、物色すらも気晴らしにならないと思い始めたころ見つけたのがこの本。大好きなフーチリの絵だ! 以前紹介した『ジャックジャック・アタック/Jack-jack Attack』でも、大喜びだったけれど、今回は予想もつかないオリジナルの本。店頭で出会えて嬉しかった! 正直なところ、以下紹介のアマゾンの倍近くのお値段で並んでいたのだけど、ガマンできずにすぐ購入。本屋さんって、楽しいし嬉しい。目当て以外の本にこうやって出合えるのだから!


眺めているだけで楽しい絵。
検索してみたら、こんなトレーラーがありました。くだくだ説明するより、この動画を見てもらう方が、世界観が伝わるでしょう。


『アイアン・ジャイアント』や『Mr.インクレディブル』が好きなら必携の一冊です。
[※2011/03/23公開]

神保町すずらん通りの夕暮れ2011年03月18日 17:52

神保町すずらん通りの夕暮れ

Cherry Blossoms (Sakura)2011年03月19日 16:02

Cherry Blossoms (Sakura)
Cherry Blossoms (Sakura)

飛行機雲が増えていく2011年03月20日 15:24

飛行機雲が増えていく
銀ブラ中、音に空を見上げると旅客機、が既にあた飛行機雲と平行線に飛んでゆく。でも、よく見ると音の主はもっと低いところに別の飛行機。高度は違えど、平行線状に3機が飛んでいく空。

地震以来、緊迫した空気が続いているけれど、きっとあの飛行機のいくつかは被災地への救援関係の仕事なのだろうと想像して胸が熱くなった。


[※2011/03/30公開]

映画『塔の上のラプンツェル』を観たよ2011年03月21日 02:13

製作中から長く過程を見ていただけに、完成品が気にかかっていた『塔の上のラプンツェル』を観ることが出来ました。重鎮アニメーター、グレン・キーンが注いだ力が、若い世代の監督に手渡され、どんな風に仕上がっているのか!?

第一印象としてはアクション明朗エンターテイメント。これだけスコンと突き抜けた“軽さ”を見せ付けられると、心地よいです。公開日とほぼ時、同じくしておきた震災ショックが日本人の心に大きく横たわっている現状。こういう現実を忘れられるものが求められているのか……自分は少なくとも、ラプンツェルの世界に癒されました。

90年代の隆盛はプリンセスが多数生まれました。アリエル(※厳密には80年代だけど。)、ベル、ジャスミン、ムーラン(※作品的にはプリンセスじゃないけど、マーチャンダイジングでは姫扱い。)…。以降の手書きアニメの低迷期、そしてCGアニメの乗り換えに躍起だった時代、完全にプリンセスは過去の遺物になりかかっていました。今回は長編ディズニーアニメーション映画50作目という記念碑的作品。(※いや、毎度毎度いろんな数え方で、しょっちゅう記念碑といい続けているのも事実なんですけど。)“はずせない”という命題を抱えて、出てきた作品と言っていいでしょう。

ここ10年くらい“ディズニープリンセス”というオイシイところ取りのマーチャンダイジングを始めてプリンセスという存在の商品価値を前面に出してますが、面白いことに意識がそちらに向いてからはむしろ姫モノは吟味されているのか、乱作されていない印象。
21世紀に入ってからだと実写映画『魔法にかけられて』のジゼル、手描きアニメーション復活作品『プリンセスと魔法のキス』のティアナに続く三人目のプリンセスとなる。しかも初のCGアニメーションプリンセス。今世紀に入ってから、お姫様はバラエティーに富んだアプローチで伝統的な手描きアニメでは黒人プリンセスというチャレンジ、実写作品でプリンセスの歴史をなぞったジセル、今回はオーソドックスな原点回帰ともいえるグリム童話の「髪長姫」、白人プリンセス。今回の場合はCG作品で描く“昔ながらのディズニー作品”という器のがチャレンジなのだろうか。だからこそ、変化球ではないキャラクターアプローチは久々で、懐かしい風景を見たような気分にもさせられる。

今回になってやっと合点がいったのがメンケンとニューマンをひっくり返したかのように感じていた『プリンセスと魔法のキス』のランディ・ニューマンの起用と、今回のメンケンの起用だ。ニューマンはニューオリンズに造詣が深いからという起用の理由をききつつも、“「プリンセスと魔法のキス」はメンケンで観たかった”と思い続けたのも正直な気持ち。「ラプンツェル」のメンケン起用に、発表当時は“逆ならよかったのに”と思っってました。でも、実はそれこそが狙いだったのだと感じさせられた。
ピクサーブランド、ディズニー手描きアニメブランドに更にディズニーCGアニメのブランドがそれぞれ積み上げてきた作風加が人材のシャッフルで際立たなく恐れを抱いていたのはファンの勝手な固定観念であった。あえてケミストリー効果を狙っていたのが近年のチャレンジなのではないでしょうか。一度『魔法にかけられて』でプリンセス歴史の総決算を果たした後で、新たな道を開くビッグ・バンがここにあるように感じました。

ディズニーと言えば「星に願いを」の代表曲に集約されて、その夢見るロマンチックさも個性でしたが、時代を反映したプリンセスは一歩、一歩と変化していきました。“願い”を自力で勝ち取るティアナも十二分に新しいヒロイン像でした。そして今回の“太陽”のお姫様というイメージソースは、星空のロマンチストともいうべきイメージと寄り添った長いディズニー歴史の呪縛から一歩踏み出そうという力強さを感じ取れました。
これまでだとディズニーの長い歴史を背負うような重さがあったのが、今回はまっさらな感じ。ほんと心地いい。

ラブロマンスとして王道なのだろうけど、ラプンツェルでは“出会った大切な人”を主役カップルで描いているだけではない。きちんと、ひいては“家族”の愛を描いているのがとても良かった。娘の安否を気遣う親心、大切な人の意味合いが男女二人だけの世界に閉じることなく、家族という関係性にフィードさせているのが美しい。無償の愛。
今回の作品のキモはここにつきるのかなと。(個人的は、そこにグッときた!)


P.S.
先に観た友人に予告されていた「きみはきっとカメレオン(パスカル)が好きなるよ」は的中でした。ぎゃふん!

[※2011/04/11]