映画『塔の上のラプンツェル』を観たよ2011年03月21日 02:13

製作中から長く過程を見ていただけに、完成品が気にかかっていた『塔の上のラプンツェル』を観ることが出来ました。重鎮アニメーター、グレン・キーンが注いだ力が、若い世代の監督に手渡され、どんな風に仕上がっているのか!?

第一印象としてはアクション明朗エンターテイメント。これだけスコンと突き抜けた“軽さ”を見せ付けられると、心地よいです。公開日とほぼ時、同じくしておきた震災ショックが日本人の心に大きく横たわっている現状。こういう現実を忘れられるものが求められているのか……自分は少なくとも、ラプンツェルの世界に癒されました。

90年代の隆盛はプリンセスが多数生まれました。アリエル(※厳密には80年代だけど。)、ベル、ジャスミン、ムーラン(※作品的にはプリンセスじゃないけど、マーチャンダイジングでは姫扱い。)…。以降の手書きアニメの低迷期、そしてCGアニメの乗り換えに躍起だった時代、完全にプリンセスは過去の遺物になりかかっていました。今回は長編ディズニーアニメーション映画50作目という記念碑的作品。(※いや、毎度毎度いろんな数え方で、しょっちゅう記念碑といい続けているのも事実なんですけど。)“はずせない”という命題を抱えて、出てきた作品と言っていいでしょう。

ここ10年くらい“ディズニープリンセス”というオイシイところ取りのマーチャンダイジングを始めてプリンセスという存在の商品価値を前面に出してますが、面白いことに意識がそちらに向いてからはむしろ姫モノは吟味されているのか、乱作されていない印象。
21世紀に入ってからだと実写映画『魔法にかけられて』のジゼル、手描きアニメーション復活作品『プリンセスと魔法のキス』のティアナに続く三人目のプリンセスとなる。しかも初のCGアニメーションプリンセス。今世紀に入ってから、お姫様はバラエティーに富んだアプローチで伝統的な手描きアニメでは黒人プリンセスというチャレンジ、実写作品でプリンセスの歴史をなぞったジセル、今回はオーソドックスな原点回帰ともいえるグリム童話の「髪長姫」、白人プリンセス。今回の場合はCG作品で描く“昔ながらのディズニー作品”という器のがチャレンジなのだろうか。だからこそ、変化球ではないキャラクターアプローチは久々で、懐かしい風景を見たような気分にもさせられる。

今回になってやっと合点がいったのがメンケンとニューマンをひっくり返したかのように感じていた『プリンセスと魔法のキス』のランディ・ニューマンの起用と、今回のメンケンの起用だ。ニューマンはニューオリンズに造詣が深いからという起用の理由をききつつも、“「プリンセスと魔法のキス」はメンケンで観たかった”と思い続けたのも正直な気持ち。「ラプンツェル」のメンケン起用に、発表当時は“逆ならよかったのに”と思っってました。でも、実はそれこそが狙いだったのだと感じさせられた。
ピクサーブランド、ディズニー手描きアニメブランドに更にディズニーCGアニメのブランドがそれぞれ積み上げてきた作風加が人材のシャッフルで際立たなく恐れを抱いていたのはファンの勝手な固定観念であった。あえてケミストリー効果を狙っていたのが近年のチャレンジなのではないでしょうか。一度『魔法にかけられて』でプリンセス歴史の総決算を果たした後で、新たな道を開くビッグ・バンがここにあるように感じました。

ディズニーと言えば「星に願いを」の代表曲に集約されて、その夢見るロマンチックさも個性でしたが、時代を反映したプリンセスは一歩、一歩と変化していきました。“願い”を自力で勝ち取るティアナも十二分に新しいヒロイン像でした。そして今回の“太陽”のお姫様というイメージソースは、星空のロマンチストともいうべきイメージと寄り添った長いディズニー歴史の呪縛から一歩踏み出そうという力強さを感じ取れました。
これまでだとディズニーの長い歴史を背負うような重さがあったのが、今回はまっさらな感じ。ほんと心地いい。

ラブロマンスとして王道なのだろうけど、ラプンツェルでは“出会った大切な人”を主役カップルで描いているだけではない。きちんと、ひいては“家族”の愛を描いているのがとても良かった。娘の安否を気遣う親心、大切な人の意味合いが男女二人だけの世界に閉じることなく、家族という関係性にフィードさせているのが美しい。無償の愛。
今回の作品のキモはここにつきるのかなと。(個人的は、そこにグッときた!)


P.S.
先に観た友人に予告されていた「きみはきっとカメレオン(パスカル)が好きなるよ」は的中でした。ぎゃふん!

[※2011/04/11]