ソフビバンク/トムとジェリー『トムとジェリーの大冒険』(1996) ― 2011年06月20日 18:16
もう一つの可能性としては、96年リリースが最初だったのかもしれませんが、刻印が間違っていて急遽、訂正シールとして用意された処理なのかもしれません。そう思うのも、96年以前にこの商品を見た記憶が無いからです。
自分がこの貯金箱に出会ったのは1996年ごろの神奈川の黄金町付近のゲームセンター。がんばって4種類までは獲得できたものの、残りの1個がどうやっても獲得できない。 手持ちの資金も底をつき、諦めなければならない状態になりました。こうなると「すっぱいぶどう」です。全5種類とは言え、トムとジェリーで表情違い。とりあえず2キャラクター揃ったのだから、あとはたいした問題じゃ……。それに、目鼻立ちはまるで『トムとジェリー・キッズショー』みたいです。ましてや蝶ネクタイのジェリーなんて……。
とりあえず、その場を離れるには充分な「すっぱいぶどう」にすることが出来ました。自宅に帰り、この15年間自室のカーテンレールの上に4点は並べて飾られ続けていました。下から見上げるだけでもホコリをかぶり、ジェリーのほほには蜘蛛の巣がはっていたぐらいです。
それが先日の地震で落ちてきました。汚れは不憫だし、クリーニングをしないといけないと思い、片付けの整理に手元に近い場所に下ろしていた数ヶ月。そうしたら古書店で、例の持っていない最後のジェリーに出会えました。
最初、持っていない表情のどちらだったか思い出せず、躊躇したのですが「どことなく、いつも見ていた表情と違う気がする」と思い購入しました。結果は、ビンゴ。おかげで、ついに5種全てを揃えることが出来ました。
15年間の追いかけっこにも、ついに終わって達成感のエントリーです。
[2014/01/28画像追加訂正]
北北西から来た箱 ― 2009年10月06日 13:18
ほんでもって、中身はいかにも自分向きのこの2点。
「トムとジェリー」の筆記具セット。
自分のお気に入りポイントはシャーペンの芯のケース。昔、日本でもルーニーのシャーペン芯のケースに喜んだ自分だけど、デザイン勝負になるケースものは、眺めていて楽しいアイテム。ややセンターオフ気味のトムが不思議な印象ですが透明ケースの質感もあいまって、カッコイイ。開閉のメカニカルな部分が見えているのもかっこよく見える錯覚を手助けしているかも。
もうひとつは「アイス・エイジ3」パッケージのキャンディ!
これが海外にありがちな甘ったるいだけの味ではなく、スースーする民と味。キャメルっぽいヌガー状態で口どけも早いサラサラテイスト。普通においしくいただけました。
パッケージは完全保存です(笑)。
家族みんなでおいしくいいただき、あっという間になくなってしまいました。
ご馳走さま、ありがとうございます!
ぬいぐるみ/天使と悪魔・ジェリー リボンぬいぐるみ ― 2009年09月01日 19:28
何が自分を池袋に居残りさせたのか……。そもそも台風が来ているってのに、何やってんだと我にかえる直前に見つけたのがこの景品ぬいぐるみ。
サンシャイン通りにあるアミューズメントで、唯一入れているUFOキャッチャーがありました。しかもノンジャンルの雑多なケースの中に数個。決して取れる位置に揃っていたわけではないので、店員さんを呼んで取れる場所に掘り起こしてもらいました。
商品名は「ジェリー リボンぬいぐるみ」。タグに全4種類の文字があったので、トムを猛烈に探したのですが、トムはガチャガチャと同じく商品化されていないようです。よーく筐体の中を見ると、ジェリーの体色が同じでも、リボンの色違いがあるのをみつけれられたので、体色2パターン×リボン2パターンの計4種類ではないかと結論が出ました。
さすがにリボンの色違いは無理して要らないので、天子と悪魔の各1種だけを捕獲。経費、計200円也。製造・販売元 フリュー株式会社。
証紙がサンリオ。サンリオが承認するトムとジェリーの商品というのが激しく違和感。
仕事をしながら、何度もこのぬいぐるみを眺めていたら「気に入ってるの?」と質問されました。ええぇと。言いよどんじゃったけど、たぶん気に入ってます。理由はトムとジェリーの商品だからという消極的理由で。
ガチャガチャの同デザインの商品化と感想ほぼ同じです(^^;
笛付人形/トムとジェリー(1967) ― 2009年06月28日 01:57
自分はあくまでもトムとジェリーが好きだから手を出した人形です。銀行の貯金箱ソフビ人形のように二頭身にディフォルメされた“まとめ方”が、幼少期にトムとジェリーを過ごしていた時代を思い起こさせて、ノスタルジック。帽子や縞々のシャツを着てる理由はサッパリわかりませんが、アメリカのグッズでは味わえない、日本製ならではの味わいを感じます。
笛も元気に鳴る状態。マニアとして色ハゲを恐れて手荒に遊ぶ気持ちにはなれないのですが、時々「ピィ」と鳴らして和んでいます。
足の裏の表示を見ると1967年ですが、おそらく数年単位で更新された数字だと思うので70年代の商品だと思うのですが……。顔からするとマスダヤ製に見えますが、メーカー表示もないし実態はわかりません。
わからないなりにも、それでいいと思わせる味。
なんか、のんびりさせられるアイテムです。
マキシキンダー/トムとジェリー ドーム・ゲーム(S05) ― 2009年06月19日 05:14
台所を再現したジオラマの足元には透明プラスチックで作られた迷路があり、冷蔵庫から銀球を転がせてネズミ穴のゴールを目指すという品。お馴染みのシチュエーションの再現に思わず笑ってしまうアイテムです。銀球は底面からジェリーのついた磁石スティックをあてて、操作することが出来ます。ある意味、ジェリーは指示棒で部分拡大されたような異空間扱い。
よく見るとジェリーのフィギュアは03年版のサーフィンの流用。トムは新規造形のように見えます。
ゴールについた玉は、底面のレールでスタート地点に戻り、次のゲームがセットされます。冷蔵庫の下にはレバーがあり、そのレバーをはじくと玉が床面に出てきて再スタート。
飾るだけでも、見栄えがする傑作オマケです。
近年のマキシ・キンダーの中でもかなりお気に入りです。
ベルト/トムとジェリー ― 2009年05月15日 16:23
そういえばこんなの持っていたっけ。実際に使用していたので、それなりの使用感が、また風合いになっているのが本皮のいいところ。年度もメーカーも不明だけど、10年位前には既に持っていたような気がする。
家族いわく、太ったからベルトが通らないんじゃないかと。
買ったときは、かなり長さをもてあまして短くカットした記憶もあるけれど……見事に丈が足りない。いや、腹を縮めてがんばれば締めることが出来るけれど、それでは苦しくて日常生活が送れなさそう。穴だって、力に負けて裂けてしまいそう。
あぁ、せっかくに実用品兼コレクションが完全なコレクションだけの存在に……。
吹き替えや翻訳にこだわりアリ?ナシ? ― 2009年03月15日 23:39
具体的な例を挙げるなら、キャストが一新された2005年の『ドラえもん』のリニューアル、ソフトがリリースされる時代によって吹き替えが違うものになってしまうディズニーアニメーション、TVの吹き替えがソフト化されない『トムとジェリー』なんて例が自分のフィールドに引っかかってくる。
同感する部分はあるし、一部には“そのとーり!”と思ってしまうこともあるが、たいがいは話題に参加できない。理由は簡単。ほとんどにおいて感情論だから、次の話題がないのだ。
サンプルがまとまるのは意味があるとは思うけれど、個人の感性の並列情報。その中で前向きな論議は発生しようもない。せいぜい自分と似た趣向の人を見つけて共感を得る満足感しかない。(自分の場合、趣向がずれてるので共感すら得られないのだが。)
自分の好き嫌いを発表するだけで、満足されるならばそれでいいと思うが、延々と読みたいものではない。かと言って統計を取るのも、自分は専門外。数字に変えるのは関連会社がマーケティングしてくれれば一番いい。採算があればソフト化へ実現する可能性だって……。
例に出した3例で言えば現在の『ドラえもん』は3代目キャスト(ドラは4代目)として歓迎している。
問題なり危機を感じるのは後者2例の海外アニメーションの日本語吹き替え版。
そもそも何故、吹き替えが変更されていくのかの理由がはっきりしないので、ここは仮説で進めたい。
理由1、権利関係。
ソフト化という概念もなかったころ製作された吹き替えには、ソフト化に関する契約がない。新たな契約を結ぶより新しい吹き替えを作る方がが楽な場合、そうするのは当然。ミュージカルアニメの場合、歌曲部分に別な音源の権利が発生することも、想像に難しくない。
理由2、日本語の変容と周辺。
80年代以降の“言葉狩り”もあり、自主規制的に表現を変える可能性。また放送や出版のコードによって、世の中で耳にする機会がなくなった背景も、新参の子供には分かりづらい翻訳になってしまう弊害が起こりうる。一部の表現なら箇所の差し替えで済むが『白雪姫』の“抜け作(現:おとぼけ)”や『わんわん物語』の“のら公(現:トランプ)”のように名称が変わってしまう場合は修正箇所が多すぎて新録の方が、効果的。
親が子供に与えるアニメーションというポジションも、問題に敏感にさせてしまう気がする。
理由3、常に新しく保つため
80年代のリバイバル公開時には“最新吹き替え版”などの冠をつけて、“新しいこと”もセールスの材料になっていた。
そういえば“新しいもの好き”のお客さんも層がありそうだから、むしろ“売り”とする風習があるのかもしれない。
理由4、権利延長?
話は録音からはそれるが、デジタルリマスターでリバイバル公開された『白雪姫』にはリマスタリングされた年号がコピーライト表示されていた。著作権の延長でいろいろ言われるディズニー社らしい対処だが、修復にオリジナリティが存在しない限り新たな著作とはいえない結論が出される例となっていた。
そこからの勝手な想像ではあるが、吹き替えは翻訳の違いやキャスティングでオリジナリティが出る箇所。これで正規版の権利主張、アピールとも思えるのだけど、実際にはずいぶん早いサイクルで変更が行われているので、“権利延長のため”という推察は濡れ衣なのだろう。
理由、その他。
思いもつかないような意外な理由。思いつかないので、推察できない。
ざっと考えると結局は理由1の権利関係だと思うのだけど、これが最近問題を感じるようになってきた。
最近安価に手に取れるパブリック・ドメイン作品が500円前後で並ぶ棚にディズニーアニメや『トムとジェリー』が並ぶようになってきた。これらの一部には新たな日本語吹き替え版が独自に作成され収録されている。
翻訳書が“新訳”で出るのは理解できるけれど、ここにきてかつてのアニメーションの“翻訳”の価値を浮き彫りにしている状況になった。
むろん現在発売中の正規版と比較してクオリティーを確認するのもいいと思うが、自分はどちらかといえば時代性を抹殺して新録音を重ねてきた作品に注目したい。
ディズニー作品で言うと『わんわん物語』以降が、リアルタイムで吹き替え版を作成し公開してきた作品群。同時代性の価値は、その一瞬しかない。後からどんなにクオリティーをあげて塗り重ねても“最初”の価値には及ばない。(数年遅れになった『わんわん物語』以前の作品も“初もの”であるオリジナル版は重要。)
TVシリーズのような作品は長い年月で何度も聴く機会があり、多くの人の記憶に残り、変更されると騒いでもらえるが、普通1度きりになってしまう映画の吹き替えは覚えている人も少なく、“感情論”で叫んでくれる人すら少ない。
時代を語る資料性なら、同等かそれ以上に“価値のある作品”である“吹き替え音声”。自分は機会あれば“日本オリジナル”に日の目を浴びせてほしいと思う。
昨年の『ディズニーフィルム・フェスティバル』で上映された作品群は結局最新版のものであったらしい。
“ソフト”ではなく劇場の興行だからこそ可能な作品は積極的に、ぜひとも旧吹き替えをかけてほしかったところ。
改めて作品を鑑賞する機会すらないものは、本当につらい。
最後に、考察を置いといて個人的な感情論で言わせてほしい。
“のら公”のことをトランプと呼びたくない! オリジナル日本語発声版の『わんわん物語』を聴かせてくれ!
「こんちごきげんだね、トムさん」の名調子を『トムとジェリー』で聞かせてくれ!
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