クロ現『崩壊?日本人のモラル』~駄菓子屋の秩序を2006年08月02日 03:53

ガチャガチャやゲームのミニチュア玩具
▲画像:ガチャガチャなどのミニチュア玩具。駄菓子屋の軒先をイメージして。

ラテ欄で字数が足りなくなったときに『クローズアップ現代』が”クロ現”となるのがちょっと好き。
そんなことはどうでもいいのですが、NHKの番組『クローズアップ現代』で昨日「崩壊?日本人のモラル」(NO.2278)が放送されました。

番組HP:クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/


図書館の本をカッターで切ったり、書き込みしたり、家庭ゴミを持ち込んで捨てる人、高速道路の料金所を突破する車、様々な光景をつきつけ、現代日本のモラル低下を問う番組でした。

色々な局面で自分も感じる所ですが、一番しょっちゅう触れるのは食玩のパッケージ破壊です。内容的には既に最近のエントリーで”サーチング行為”の節度をわきまえたいと書いてるので繰り返しのような話なのですが。

近年、目を疑うような風景にたびたび出会います。売り場の食玩のパッケージが明らかに角を押し曲げて中を覗いた形跡のあるもの、時には完全に開けられてしまってる物まで出会います。
そうなっていると自分はろくに見もしないで次の店舗に向かいます。多くの場合は自分と同じSP狙いだろうと考えると、目当てはないからです。それに加えて人がグシャグシャにしたパッケージはやはり気持ち悪いです。

不思議なことに、こういうことが起こり始めたのは大人が食玩を買い始めた”チョコエッグブーム”以降実感するようになりました。
なんで大人の方が行儀悪いんだか……。
ギャンブル性が高くなった一因もありますが、それにしても……。

ふと、昔はどうだったかなぁと思い出すとコンビニが出始めたことは現在のようなシークレット制度はなかったし、バンダイ食玩もほとんど選択性(オープンボックス)でした。

むしろギャンブル性が高い文化は駄菓子屋の引き物。駄菓子屋の役割はコンビニに取って代わられたという意見、ある程度は賛同します。でも売っているものは似ていてもやっぱり違うと思うのです。

子供はズル賢いし、インチキもありましたが、駄菓子屋のオヤジやオバちゃんはきちんとたしなめていました。逆に店側のズルもありました。最初から一等を当てられては、その後のクジを引く子供がいなくなるからと、途中まで温存していたりする手法は暗黙の了解。景品とクジの数が合わないなんてことはザラでした。
だからと言って食うか食われるかみたいな空間ではなく、最後にはどんぶり勘定でオマケしてくれることもあったし、とにかくおおらか、いい加減。同時に、秩序のようなものがあった。

子ども扱いの上手い店と、下手な店も子供心に分かっていて、子供を見下す店主は評判悪かった。
今の世の中、注意すると逆に刺し殺されるから注意できない、よく聞く意見です。その背景の一つに駄菓子屋文化のなくなったのも一助なのかな、と思うのです。
家庭以外の場所で叱られたり、ローカル・ルールを学んだり、外界と大人との接し方も学んでいたのではないかと思い出されるのです。

つきつめて駄菓子屋を賛美すると単なるノスタルジックな話に終始してしまいそうです。今更、なくなった文化を惜しんでもしょうがありません。
コンビニ店員に子供のしつけまでしろと意見を暴走させても無意味ですし。
今は物騒な世の中、一人で子供が歩けない世の中。
モラルの低下ではなく、そもそも学ぶ場所が少なくなったのではないかと思った次第です。

……もっとも世代や育った境遇に関係なく、非常識な人はいる訳で。モラルを守らなくても気にさせない今現在の空気が一番の要因か……。

古い下書き(駄菓子屋賛美)と、TVの話が別個だったような気がしてきた。うーん、空中分解エントリー。