映画『魔法にかけられて』~ビッグ・アップルをかじったプリンセス2008年03月21日 01:27

魔法にかけられて / 劇場販売パンフレット
ディズニー最新作のお姫様はアニメの世界から現実世界に落とされる!? そんな設定を聞いて期待が膨らまないはずがありません。

何よりも短時間とは言え、途絶えているさなかのハンド・ドローイング・アニメーションが堪能できる。嬉しいじゃないですか。
しかも、音楽は90年代ディズニーの屋台骨とも言えるアラン・メンケンの久々の本格ミュージカル! もう映画公開を待てずにリリース直後のサントラに耳を通して、その音楽の完成度は予想以上。90年代のディズニーにあれだけ熱狂できたのは、ただディズニーが好きだったのではなくメンケンも同等かそれ以上に好きだったのだと再認識させられました。『ホーム・オン・ザレンジ』の時にも散々、過剰な思い入れを吐き出した記憶もありますが、自分でも意外なほどメンケンに惚れ直しました。ブロードウェー版『リトルマーメイド』も含め、活動が復活して嬉しい! 誰だ、ミュージカル・アニメなんて古いとヌカしたアニメ制作会社は! (あっ!)いやいや、体制が変わって、本当に良かった。

ずいぶん間が空いた気がするけれど、実写とアニメ世界の融合は『ロジャー・ラビット』以来。この路線はディズニーブランドとしては、一番古くから流れている血。『アリスコメディー』を発端と思えば、一番長いと言ってもいい。以下、自分のカテゴライズでは『南部の唄』『メリーポピンズ』(以下、ウォルト死後だけど)『ベットかざりとほうき』『ピートとドラゴン』などが並んでいく。『ロジャー・ラビット』がギャグ・カートゥーンと現実世界をつなぐ作品だったことを振り返れば、長編アニメーション『白雪姫』を始めとする“プリンセスもの”とつなぐのに、こんなに時間が必要だったんだね、と思う。

そんな期待を持ちつつも、期待値としては“ハズしていない”だろうくらいの予測。よもや、こんな傑作が生まれるなんて思いもしてなかったのが正直な感想。してやられました。

ディズニーファンとしての驚きの連続、ネタの濃密さもさることながら、この脚本、構成の見事さ。

<※以下ネタバレです>

理想の白馬の王子に出会い、出会ったその日に恋に落ち苦難を乗り越えながらも最後は結婚し、ハッピーエンド。ナイン・オールドメン時代のプリンセスの定番を踏襲した序盤のジゼル姫。そのパロディの数々に爆笑しつつ、本題のNYへの落下。

夢と魔法の国アンダルージアから、夢も魔法も無い現実世界のNYへの場面転換。このNYと言う舞台設定がニクイ。何も、クライムシティとしてや、アニメとの対比で過酷な現実を見せるための舞台というだけじゃない。まずは駄洒落。そのセンス! NYの別名と言えば?


そう、「ビッグ・アップル」! 
ディズニーファンなら『ヘラクレス(1997)』でギリシャの町を“ビッグ・オリーブ”と呼ぶパロディがあったので、予備知識は万全。“リンゴの町に落ちたお姫様”、ココに気づくと面白さは段違い。

この映画、気づいただけでも3回リンゴにやられてます。
2つめは”禁断の果実”。ディズニーアニメ……と言うよりも、ファミリーピクチャーとしてはタブーとも言える肉欲にも目覚めるプリンセス。
怒りと言う感情のなかった彼女は、やがて初めて覚える“怒り”と言う感情に戸惑いながらも、新しい感情の発見に喜び、受け入れる訳ですが、同じように弁護士エドワードのバスローブ姿にじかに触れ、自分の中に沸く初めての感情に戸惑いながらも、あわやキスをしてしまいそうに。大人ならではの感情表現はファミリーピクチャーの立ち居地として、かなり賛否が分かれそうです。サラリと肉欲を通過した『わんわん物語』のイタリアンレストランのパロディ“ベラ・ノッテ”でデートした女性ならば、さもありなん。ようは露骨さの差です。

物語のうわべだけをなぞると、今回のシノプシスはかなり背徳的です。
婚前交渉はお互いに無かったことを強調しつつも、お互い婚約者がいるのに、一方は5年間の交際機関を、片方は一日とはいえ婚約を破棄。2、3日の関係を持って新しい出会いを尊重して結婚。当事者だったら泣いても泣ききれない、コメディ映画の設定だと言われても納得しがたいものでしょう。
でも、物語中盤から先の見える複線の数々が張り巡らされています。おとぎの世界流の愛の伝達としてハート型の花の輪を鳩に運ばれる、非現実的なアプローチに「ロマンチックで素敵」喜ぶナンシー(エドワードの5年来の交際相手)。もう、既に内面はおとぎ話のやり方でOKと言うキャラクターに描かれています。

ジゼルも決して“白雪姫”的な保守的な面のみを受け継ぐキャラクターではありません。戦後の強い女性像を持つ”シンデレラ”“オーロラ姫”、そして90年代ディズニーの“アリエル”や“ベル”などなど。ベルはそれまでの外見だけでの恋愛ではなく、内面を愛することを説いた、新境地のプリンセスですが、今回のジゼルもテーマ的に言えばこちらの系譜のお姫様へと成長するキャラクターです。逆説的に言えば、だから前半では外見とフィーリングだけで永遠の愛を信じる展開なワケですが……。

最後のリンゴは目にも見える”魔法のリンゴ”ですが、そのリンゴの呪いを解くのに必要な愛が、どんな形だったかは映画を見ての通り。
ナンシーが強固にエドワードを束縛するのではなく、そっと背中を押すようにエドワードとジゼルの気持ちを確かめようとするのも、もうひとつの愛のカタチです。その強さが彼女にあることが、救いでもありました。

時に東京ディズニーランドを形容する表現で、ゲートをくぐったとたんに現実世界とは隔絶された夢の世界に入れるのが素敵と言われます。まったくもって的を得た表現だと思うと同時に、この映画が見せる夢や魔法は、そんな隔絶された“向こうにあるもの”とはしていません。現実を見つめたまま夢を持つこともできるし、幻想だけの恋人を愛するのではなく、ありのままの現実の姿を愛することが大切だと説いているように見えます。なんとも素敵な結末ではないですか。

では、意外にもロマンチストだったナンシーはアニメの世界に引きこもった二次元オタクなのかと言う、うがった意見も出そうです。現実逃避? ……いやいや、彼女にとってはアチラが現実。それに、現実世界に来てそれなりの苦難も待ち受けるジゼルに対して“ハッピリー・エバー・アフター(いつまでも幸せに暮らしましたとさ)”と言い切り、裏返しの世界にも言っています。どちらの選択も否定していない結末は、能天気な結論ではなく多様性の肯定だと思えます。

テーマパークや劇場を出たら魔法が消える、そんな儚い夢ではなく、現実にこそある魔法を信じられる『魔法にかけられて』はディズニー映画史上でも、とびきりのハッピーエンディングだと言えるでしょう。

近日エントリー、小ネタ編へ続く

アロエの花2008年03月21日 15:00

アロエの花
うちの隣にアロエが咲いた。
不勉強で、こんな花が咲くことをしらなかったので新鮮。