DJイベント「映画音楽の巨匠・エンニオ・モリコーネの世界」を聴きに2014年04月15日 22:59

DJイベント「映画音楽の巨匠・エンニオ・モリコーネの世界」
DJイベント「映画音楽の巨匠・エンニオ・モリコーネの世界」

イタリアの作曲家、巨匠エンニオ・モリコーネが手掛けた作品など、映画音楽を中心とした選曲の一夜!

DJ: 須永辰緒
場所:ブルックリンパーラー新宿店
日時:4月15日(火)19:30~22:00
料金:無料(カフェでの飲食代は別途ご負担いただきます)
普段ならDJイベントやこういうオシャレな感じのお店へは足が向かない生活をしている自分ですが「ニュー・シネマ・パラダイス」好き同士の中の友人から誘っていただいたので、行ってみました。

懐かしい「ぴあ」の表紙たちに囲まれて、ビールをかっくらい耳馴染みのあるメロディを聴きながら、“これなんだっけ……” “このアレンジ知らない!”とか会話しながらほろ酔い気分がさらに心地よくなるモリコーネの夕べを過ごしました。

auのビデオパスCM2012年06月14日 17:30

auのビデオパスのTVCMのたびにニュー・シネマ・パラダイスのトトを確認してしまう自分。あの一秒足らずショットは映写室に上がっていいか、のジェスチャー後、アルフレードに断られた表情。毎回、あの数十フレームの気持ちに同調して「ああ…」と思う。

from Twitter

映画『シチリア!シチリア!』の感想 Viva! BAARIA ※ネタバレ2010年12月25日 23:25

G・トルナトーレ監督サイン入りポスター(シネスイッチ銀座)
G・トルナトーレが故郷シチリアを舞台に一大抒情詩のような作品を! そう聞いたらファンが期待を抱かないはずがありません。多くのファンを生み出した『ニュー・シネマ・パラダイス』以来、常に出世作と比較されながら、しち面倒くさい評論を受けてきた監督。あれだけドロドロとした人間の奥底の心理を描きながらも「愛の巨匠」ときれいなイメージで見られ続けている作家も珍しい存在です。いやさ、もうファンは気づいているのに、いつまでも“売りの冠”を乗っけられているだけなのかもしれませんが……。

今回の作品は故郷シチリアの実在の町「バゲリア」を舞台とした家族三世代を主人公として描く作品。80年の時空を飛び越えて描く。その土地に暮らしたファミリーを描くという意味ではタイトルどおり、土地の歴史を描く。
原題の「BAARIA」はバゲリアの現地住人が自分たちの町を呼ぶ俗称。

※※基本的にこのエントリーはネタバレ前提です。※※

冒頭の飛翔から挽きつけられます。昔に比べてやりたいことがやれるようになったように感じます。インスピレーションに支えられた映画という印象です。冒頭の、地面に吐いたつばが乾くまでの間におつかいを済ませるという“賭け”。どこまでも、早く早く走っていきたいという向上心をファンタジックに描いた導入は、家族のドラマを貫くコマの芯のような“タネ”です。冒頭の飛翔といい、ラストに繋がる時空の超越はまさによく出来た伏線だと感じます。

山の突端に突き出た三つの岩。三つの岩に一投で小石をすべてに当てることが出来れば、隠された財宝が手に入ると語られる一つの伝説。 小石の示唆するところ、今作のキモは何といってもこれでしょう。

主人公は学生時代政治活動に傾倒していたというG・トルナトーレの分身であるのは言うまでもありませんが、その彼こそが真ん中の岩で、親から受け継いだものをバトンし、そして子供に伝えていくという主題の描き出し方。

マフィアとの戦いで被害をこうむる父親、そして自分たちを取り巻く社会を少しでも良くしていこうと考えて政治家となり、奮闘するがなかなか成功するには難しい。老いた親父は「政治はいいね」とつぶやきながら死んでいく。 また、守るべきものが「家族」だということをささやかな幸せを重ねて描写。監督の私生活がこの年月をへて、現在どんな状態にあるのか興味を抱かせる視点の比重の変貌で、昔のマザコン的描写に比べて母よりも妻に対しての視線が重くなったように感じました。
そんな妻が暑がる子供たちのために、床を水でぬらし一緒に涼む場面はもっとも「貧しくても幸せな家族の肖像」として印象的です。

最初は穢れなき志も年齢と共に、決して綺麗とはいなくなり、やがて来る老いと戦いながらも夢を追い続け、やがて親を見て育った息子が自分と同じ道へと進むことを決心。土地を離れるところで物語は幕を閉じますが、その直後イメージシーンとして伝説の岩への挑戦が達成されます。

親とペッピーノと息子の三代に渡った夢への橋渡しが果たされることこそが三枚岩へのノックであり、その意思のバトンがあったからこそ、土地に眠る宝を手に入れることが出来たと暗示するラスト。 だからこそ以降に展開されるミステリアスな時空の旅は、父のお使いから始まります。走る父と少年期の主人公がすれ違い、そして親になった主人公が子供との心残りを回収していくという不思議な展開。そしてまた父の代に話が戻り、コマへの「もっと早く回るように」とおまじないに使ったハエが、絶対に不可能と思われる中から奇跡の生還。

コマにかけられた「もっと早く」少年の「飛ぶように早く」走るという向上心は、息子の主人公の芯にも息づき、更に息子へとバトンされている。時空を越えたあのラストに、何とも言葉に出来ない映画的興奮を覚えた自分は、この監督のファンでよかったと心から思える作品でした。

「シチリア!シチリア!」公式hp:http://sicilia-sicilia.jp/



[2011/06/07公開]

映画『シチリア!シチリア!/BAARIA』の第一印象2010年12月19日 22:20

BAARIA un Film di Giuseppe Tornatore
最初、「政治はいいね」の話と思った。魔法のない『ニューシネマパラダイス』とも思った。そして『教授と呼ばれた男』からの総決算とも。監督の素顔だとも。裏が出るのではないかとラストを恐れた。相変わらずでもあった。でも、ラストに震えた。やはりトルナトーレの芯に共鳴してしまった。

[Twitterより転載修正:オリジナルツイート]


映画『シチリア!シチリア!』公式HP:http://sicilia-sicilia.jp/

さようなら、限定品のペア券2010年12月18日 22:03

映画、ことにお気に入り作品や監督、作曲家の交差点ともなれば力も入るわけで、劇場窓口限定の得点は欲しいし、チケットがソコでしか手に入らない“限定”だなんてアナウンスされたら、それだけを買いに出かけてしまう訳で、もう盲目的な信者&コレクター状態の私です。

もちろんその尋常じゃない期待だと封切日に駆けつけてしまうわけです。嗚呼、G・トルナトーレ! 嗚呼『シチリア!シチリア!/BAARIA』!
“限定品”であるペアチケットは“ペア”じゃなくても、2回来場すれば使える券だと自分は知っています。何しろ、昔からチケットマニアで、特にトルナトーレ監督の作品は病的ですらあるので……。

実のところ足を運んだ映画館では90年代でもイヤな目にあったことがあるし、近年だとマンガ日記にもした例の件があった劇場。よほど自分ソリが合わないのか、それとも来てる回数が多くて、その分トラブルを引いてしまうのか。

でも、基本的な資質なんだろうな。こういうのって。

独りで来た客のペア券を突然2枚分もごうとしたり、制止したら今度はタテに真っ二つ。
さようなら、限定品のペア券

あのさ、こういうことするならホント、限定チケットとか本気で勘弁してよ。こっちがどれだけ苦労してると思っているのやら。そもそも、行動の全てが意味分からんよ。俺には。で、詫びの仕方はマニュアルがないから出来ないみたいだし。

あーあ、公開一週前に30枚程度しか出てないレアチケット。(販売時のメモを覗いたのデス。)未使用、使用済みにかかわらず、自分は将来的に見つけることが出来るのだろうか。ほんと、ハラがたつ。

笑われる趣味2009年09月14日 23:59

笑われる趣味
現在公開中、仏映画『幸せはシャンソニア劇場から 』のCDジャケットを観たM氏曰く、
「『ニュー・シネマ・パラダイス』の自転車をアコーディオンにしただけじゃない(爆笑)」
だそうだ。
オリジナル・サウンドトラック/幸せはシャンソニア劇場から

かたづけの気候/PEZの剥製を作ろう/積読テキストよ、さらば2009年03月31日 16:36

PEZ/ ASSORTED FRUIT CANDY
春らしい気候が増えたおかげで、助かっていることがあります。
それは、お方付け。ベランダで洗濯物の下にゴザを引いて、ブツの一時避難場所になっています。

画像はネズミ被害で避難してきたダンボール箱から出されたキャンディ。パッケージ保存はあきらめようと思っているのに往生際悪く、見本を数本残そうとする自分。

友人M氏にはソーセージのミイラを作った伝説があります。
「ドラえもんソーセージ」はパッケージのみならず、ソーセージに巻かれたビニール部分にまでドラえもんの模様がプリントされていたために、その部分を保存するためにカッターできれいに開封し、中身の代わりにティッシュを詰め物にして再生手術を施したそう。結果、20数年を経てカバカバのソーセージのミイラが完成。

仲間内では有名な逸話ですが、小学生のころから“保存欲求”にあふれていたことを証明する興味深い話です。

自分を振り返るといろいろヤラカシてますが、今回紹介するこれも似たような話かと……。
ペッツのキャンディ部分をきれいに保存したくて、時々やってるのが、中身(A)を捨てて、代わりにダンボールか発泡スチロール(B)を詰めて巻きなおす行為。

ええ、バカにつける薬なんてないんですよ。

積読テキストよ、さらば
そしてバカついでにもう一件。開講の4月と10月から二ヶ月くらいは熱心に聴くのに、以降、内容についていけなくなって買うだけになってしまうラジオ「イタリア語講座」。1990年~1993ごろまでの4年間のテキスト。
いままでとってあったこと自体が問題って話もありますが、「ニューシネマパラダイス」に関係ある号以外を一括処分。
1992年テキストに「ディズニー映画際 大阪」のチラシが挟まっていて、時代の空気を楽しみました。

この程度の捨ては、ぜんぜん風景に変化のない汚宅だからなぁ。
がんばろ。