ブルータス/石膏デッサン入門<yujin>より ― 2006年02月13日 18:24
デザイン科在学中の学生時代を思い出すアイテムです。
藤子FC"NEO UTOPIA"19年を通過 ― 2006年02月13日 23:46
この先、どれくらい自分がこのハンパな状態を続けるのか知れないですが、この機会に思い出すことがあって書き残そうと思います。
そもそも結成の数年前まで公認のFC「ユートピア」と言う会が存在していました。コロコロコミックに告知が掲載。ドラえもんブームに乗り会員の多くは小学生でした。運営は藤子スタジオと密接なファンクラブに見えました。約3年の活動の後、解散。
数年後、ユートピアの会員がファンクラブの復活を願って有志が立ち上げたのが「ネオ・ユートピア」で旧ユートピアスタッフは関わっていません。同人誌作りも初体験の人が多く居る状態で手探りで始まりました。
少し前までHPのトップに”非公認”をわざわざ謳っていましたが、理由を明記せずに”非”ばかりを言ってしまうトップには困惑させられました。それを思い出して今回”なぜ非公認なのか、なぜ非公認を続けたのか”を書こうと言うのが今日のエントリーです。
出来上がった会誌は作者である藤子先生たちのもとへ毎回届けました。
当時自分は参加を始めたばかりのFCが公認になることを普通に願っていました。
それはそれとして、自分の漫画家への道も”藤子不二雄賞”を取ることで前進することに。授賞式では藤子両先生と揃ってお話しするチャンスだと、式の話題とは脱線になる失礼を省みず話しました。安孫子先生は編集の人と話していてその時は話せず、藤本先生にわがままを浴びせました。
今考えれば無謀もいいところ。若気の至り。
当時はコンビ解消をしたばかりで、先生がたはゴタゴタの中にいたことでしょうし、ちょうど先行き不安定な時代だったはずです。そんな中でファンクラブを認知するなんて出来るはずもない、振り返ればこそ分かる話です。
しかし、無鉄砲な自分は公認にして欲しいと言って、その回答を待ち構えました。
「う~ん」と、一瞬言葉に詰まってから、ステキな藤本節が続きました。
「ちょっと待ってください、まず公認とは何でしょう。他と区別するためのものだとしたら、今のところファンクラブはあなた方のものしかありませんよね。僕たちはもう貴方たちを知っているし、活動を止めようと思っても居ません。あなた方は今まで通り本は作れるし、自由もある。公認になるということは監視の元に自由な活動が出来なくなるということだと思いますよ。」
こんな回答をいただいたら「なるほど。」としか言えません。
当時はそこまで深く理解していませんでしたが、時間が経ってから言葉の意味をより理解することになったと思っています。一番重要だったのは集団として”自立すること”だったと思っています。
人様から会費を預かる以上、お金も絡みます。関係各者の立場もわきまえて活動しなければなりません。責任もあります。仮に公認じゃないとしても藤子先生のファンサークルとして活動する以上、何か問題が起きれば先生にもご迷惑がかかるかもしれません。そう思うと公認であるでせよ、ないにせよファンと言う集団で活動するのは同じことです。
幸い20年間大きな問題もなく活動を続けてきたFCネオ・ユートピア。先生にとっても僕らファンにとってもその選択が正しかったのだと20年という時間が証明してくれたようにも思えます。
幽霊スタッフで仕事をしない時間の方がはるかに長くなってしまった自分は、その後も続けてくれた実働スタッフと会員さんに感謝です。
そして、ファンの集う場として存在を黙認してくださった先生方に改めて感謝をしたいです。
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