PVC/ルーニーテューンズ・フィルムリール(1997)by Applause ― 2007年02月01日 02:51
これはPVC(塩ビ)フィギュアの台座の裏面です。このセンス、なかなかいいでしょう? 最近は日本のコレクション・フィギュアでもサブタイトルが台座にロゴそのままにプリントされたものが出てますが、1997年当時のアメリカン・トイシーンとしてはちょっと目新しい感じがした商品です。同時期、アクションフィギュアでも短編タイトルをモチーフにしたものが出ていたので、ワーナーのライセンス自体がそういうマニアックなものを好む傾向にあったのかもしれません。
▲Hare-Way to the Stars(1958)
以前も話題にしたマービンの主演作から。水で実体化するインスタント・火星人を膨らませているシーンの立体化です。
▲Water, Water Every Hare(1952)
毛むくじゃらのオバケ、ゴッサマーとバッグスの対決シーンから。いつもの調子でバッグスのトリックに乗せられているゴッサマー。
▲Tweety and Lovely(1959)
トゥイーティの歌声が聞こえてきそうな入浴シーン。今でこそ入浴をテーマにした萌えフィギュアなんて多数ありますが10年前には既にこんなのが……オスですけどね。
▲Home Tweet Home(1950)
トゥイーティめがけてハンマーを下ろしても自分の頭を叩くだけ。定番のギャグですが、飛んでいる星まで含めて立体化した解釈は楽しさに満ちてます。
QQQパック(1984) ― 2007年02月02日 14:41
福袋として話題にするにはちょっと時期がズレちゃったのですが、今年(正確には昨年末)のアイテムが出たらエントリーしようと準備していたら、新作QQQパックがリリースなく空振りでした。温存しても下書きが腐るので、公開モードです。
チョロQの福袋的アイテム「QQQ(サンキュー)パック」はお値段も999+1円と言うこだわり表示の定価1000円。チョロQが一番熱かった頃発売されたこのアイテムはかなり人気の高いものだったように体感しています。
思い返すに84年の時点で1000円のブラインドパッケージ玩具と考えると時代を先取りしたような商品にも思えます。
入っている商品のラインナップがパッケージ裏に紹介され、その中から「8つのアイテムが入っています」と「運がよければとうめいチョロQが入っているよ(確立は1/24!)」と言うアナウンスはチョロQキッズの物欲を最大限に刺激しました。
「とうめいチョロQ」は当時、銀座キンタロウでしか手に入らない特別なチョロQとしてファンに認知されていたスペシャル感のある存在でした。
お年玉もそんなに余裕無く欲しいものもまだまだたくさんある小学生だった自分は店頭でガタガタとパッケージを振って選び、真剣勝負でファイナルアンサーを出していました。結果、狙ったとうめいチョロQは出ず二箱目に手が伸びたような記憶が……悪癖、未だ直らず……orz
今年、出なくて良かったね、とフト思う瞬間でした。
ケロッグのチョコくんを忘れない ― 2007年02月03日 18:51
チョコクリスピーのお猿さんといえば以前はチョコくんでした。♪朝ごはんはミルクにクリスピー♪のCMソング(ちょっとうろ覚えなんですが。)にキメ台詞「いいチョコだらけ」もしくは「グッチョコ・モーニング!」と終わるCFは放送期間も長くなじみも強いものでした。チョコくんの声は三ツ矢雄二さん。
ケロッグのキャラクターはアメリカ本社ので製作ライセンスするのが基本らしいですが、チョコくんは日本オリジナルのローカルキャラクター。アメリカでは猿と言えば古くからココくんがいました。鼻が黒いのがココくんです。
日本では長く活躍していたキャラクターですが2004年ごろチョコクリスピーの商品名が「ココくんのチョコクリスピー」と変更されてその座をココくんに譲ったようです。そっくりさんだからこそ引退の印象が薄いかもしれませんが、僕は忘れません。人間に朝食をくれるあの赤いおサルさんを。
ポケモンキッズパーフェクトコレクション/小学館 ― 2007年02月04日 17:42
ポケモンの初期から現在まで続き、唯一全てのポケモンがコレクションできる指人形のコレクションシリーズ「ポケモンキッズ」は一過性のブームとして終わることなく定番アイテムになっています。
自分も初代ゲームを遊び始めてすぐに玩具に手を出して色々な商品を買いあさりましたが、1個100円で選択性(当初だけブラインドボックスだったが、すぐに選択できるようになった)の販売形式はコレクションもしやすいものでした。一つ一つのフィギュアはソフビ型の抜き方向を上手く処理したポージング。その出来は毎回見もので楽しくコレクションしていました。
アドバンス・ジェネレーション以前まではほぼ皆勤賞で集めていたのですがゲーム機も買わなければならなかったところで自分は脱落。ゲームをしないと一気にキャラクターへの愛着も冷めて、適当なつまみ買いだけで数年を過ごしてました。
今回の本は最初の商品からイベント限定品やセット販売など全ての商品が紹介され、しかもその一つ一つが前からのメイン画像だけでなく小さなアイコン状にリア・ビューや再度ビューまでが掲載されている超労作。撮影の苦労だけ考えても相当のもんです。
コラムも”へぇ度”が高く、つい新作を数個、追加で買ってしまいました。
本を見ているとふつふつと物欲が刺激されて、危険です。
アドバンス時代ならまだ追いつきそうだと思い始めている自分、コレクション復帰か瀬戸際状態です。
今回、協力でクレジットいただいてます。「なんだ、CMかよ」と感じられるのは心外です。コレクションの封入カードをちょっと貸し出しただけです。自分は何にもやってません。
素直に読者としての感想です。
記憶でディフォルメするのが正しい映画鑑賞 ― 2007年02月05日 08:34
作品はフランス映画『パリの天使たち(1991)』。以前自分の素顔を晒したエントリーで並んで写ってる人、ジェラール・ジュニョが監督・主演作品。あるサラリーマンが職を失いホームレスになる過程を描くもので、主人公の力になってくれる友人としてリシャール・ボーランジェが助演していた。おおまかなストーリーの流れがおぼろげになってしまっていたが、何よりもそのラストが印象的で、その興奮を人に伝えたかったのだ。以下、ネタバレはなはだしいのですがご容赦を。
主人公は恋する女性の為にエリートサラリーマンの振りをし、いかにもデキる身なりをしてその女性に近づくのだけど、あと少しと言う瞬間、スーツケースがバカッと開いてしまい、芝居がばれてしまう。中からリンゴが一つだけ階段を転げ落ちていく画がいかにも映画的で素敵なのだけど、彼女の反応が更にイイ。全てが芝居だと分かっているのに怒ることなく女性は全てを許すように微笑むのだ。
その名シーンの説明をしながら記憶の手触りがちょっとおかしい事に気がついた。女性との恋の成就が主軸ならこの展開はおかしいぞ、と。気になった自分は家に帰って検索をし記憶の穴を埋めた。女性は恋人ではなく旦那に愛想をつかせて出て行った奥さんだったのだ。
好きな映画として胸に刻んできたのに大きな記憶違いをしていた事が恥ずかしくなって、後日笑い話としてこの話をした。記憶の中の名画は決して本物通りではないと。
でも映画好きの友人は真顔で言い返した。
「何を言っているんだ、それが当たり前で正しい映画じゃないか。」
今でこそビデオやDVDで好きな映画を繰り返し観るのが当たり前の世の中になったけれど、それ以前は名画座で再上映されることがない限り再鑑賞は出来ない。記憶だけでリピートされ、印象的なシーンだけが誇張されて記憶の中に刻まれていく。それこそが映画として正しいというのだ。
記憶でディフォルメしてこそ映画。人によって残るものが違うのが創作物。当たり前の話だ。
言われて思い出した。一般家庭にビデオが普及する以前の映像に対する愛着や視聴者としての熱意を。
確かに繰り返して見ることや暗記をすることは一種作品に対する愛のようでもある。でも、それだけでない鑑賞のスタイルをビデオの普及と共に自分は忘れてきてしまったようだ。忘れることや勘違いは恥ずかしいことではない、それこそが価値のあることだってある。そう気がついて嬉しかった。
そして作品を再鑑賞するとき、忘れていることがあるほうが何倍も嬉しいことがある。再会の愉しみがたくさんあるのは嬉しい。
決して、年齢で忘れっぽくなったのを言い訳するエントリーでは無いと追記しておこう。
トゥイーティ・LOVES・CCレモン(2006) ― 2007年02月06日 06:42
見かけたら、教えてやってくださいまし。
本題の紹介物はちょいと前の品です。
昨年6月のエントリーで残りを集めようか迷ったサントリー飲料のオマケフィギュア(=カードスタンド)。
残り画像をアップするタイミングをすっかり間違えて、ネタ的にはすっかりはずてしまいました。本文ももはや書くことないなー。出来はいいと思うけどキャラクターやストーリーとの関係性が希薄なので、それぞれにコメンとできるほどではないし。
検索で画像を探している人もいると感じるので、せめての思いでアップしておきます。お目汚し失礼ます。
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