火事場の寒気とカメラの寒気2009年07月03日 04:32

交差点いっぱいの消防車
明け方に神保町交差点で、多くのサイレンが聞こえたので、何かあったのを感じていました。帰るためにビルから外へ出たら、ただ事ではない景色にびっくり。交差点を埋め尽くさんばかりの消防車に驚くと共に、ちょっとした頼もしさを感じました。

自宅の至近距離で火事を体験してから、火災に対して人一倍強く恐怖を感じるようになっていて、思い出すだけでも寒気が消えません。その意味、消防の設備の力強さは、依然とは違う力強さを感じさせてくれる存在になっています。 見たところ、すでに消火作業は終わっている様子。
ブロガーの悪い癖で、うっかりカメラを向けてしまったのですが、現場を意識した瞬間、ふと我に返りました。

以前の秋葉原の事件しても、新聞に掲載された現場写真には寒気を感じさせられました。惨状に向かってケータイのカメラを向ける関心の向け方は、やはり人間として恐ろしさを感じます。気づくのに遅れたとは言え、自分もその一部になってしまっていたと反省した瞬間、目の前にテレビ局の報道カメラが横切りました。
報道のカメラ
ううむ、プロだから、という壁は理解しつつも、その職業の残酷さを感じる瞬間でした。そして、むしろその瞬間を忘れないよう意識してシャッターを切る。撮る人を撮る。矛盾している行為だろうか。

アニメの話に飛んで申し訳ないですが、88年ごろTV放映されていた「エスパー魔美」の中の一話に、なだれに巻き込まれる瞬間の彼女に対して、思わずシャッターを押してしまったカメラマンの話があったのを思い出しました。そのカメラマンは罪悪感から山にこもり、仏像を彫るというストーリーでしたが、当時、描き方に物足りなさを感じて辛口の感想を持っていた1本です。でも、今思い起こしてゴールデンタイムのアニメーションで、やや重過ぎるくらいの意義のある1本だったのではないかと思い起こしています。

いろいろもやもやを抱えたまま、近隣住民の無事を祈りつつ帰途につきました。


[※2009/7/8記]
後日、ネットでニュース検索をしたら、現場では亡くなられた方がいらっしゃったそうで、自分が考える以上に大変深刻な火災だったようです。 不謹慎にも思える日記になっているようにも思え、公開に躊躇したのですが、火災の怖さを肝に銘じるため公開の判断としました。共感と理解お願いします。
亡くなられた方のご冥福、お祈りします。

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