それでも『E.T.』は『のび太の恐竜』を元にしたと信じるのか ― 2006年02月19日 05:06
藤子ファンであり、なおかつ『E.T.』ファンの自分にとってこれほど身の置き場のない話はない。
そもそもこの説の発祥は『のび太の海底鬼岩城』公開直前にコロコロコミックに掲載された映画「E.T.」の紹介記事に遡る。
リアルタイム世代だからこそ、これより前にマスコミ上にこの説はなかったと断言できる。「映画『のび太の恐竜』は、藤子先生の『E.T.』だ。」たった24ワードのキャプションは、そんなに深い意味を持っておらず、仮にその後の意味がこめられていたとしても一人の編集者がたてた一つの仮説に過ぎなかったはずだ。それなのに繰り返す記事のせいであたかも真実であるかのようにささやかれ都市伝説となった。
噂ではTVで映ったスピルバーグの後ろにドラえもんの人形があったとかまことしやかな尾ひれがつき真実性を増している。これだけ封印作品が個人間でやり取りされるネット時代においていまだにその証拠映像を目にすることがないので、自分は”尾ひれ”として考えている。仮に人形があったとしても確証にはならない点も考慮したい。カートゥーン好きの部屋にフィギュアがあったからと言って、そのアニメを見ているかは断定できない。
ゴジラファンであるスピルバーグ監督が『ドラえもん のび太の恐竜』と同時上映だった『モスラ対ゴジラ』を見に映画館に入ったのではないか、そう思うとスピルバーグファンも頷いてしまいそうになる。しかし、待てよ、なのである。
『E.T.』ファンなら当然の事なのだが、この映画の脚本は『レイダース/失われたアーク(聖棺)』撮影中から始まっている。撮影は’80年6月にスタート。時間的に1980年3月公開の『のび太の恐竜』を見てからでも『E.T.』の脚本に間に合いそうだ。
しかし、スピルバーグ監督は公開中の日本に居たのだろうか。1980年に公開されたスピルバーグ作品は2本。『1941』と『未知との遭遇<特別編>』だ。しかし後者は10月公開。キャンペーンで来日していたとしても『ドラえもん』を見るには間に合わない。『1941』ならば3月公開なのでドンピシャだ。
スピルバーグの来日を遡ってみよう。
2005年来日(『宇宙戦争』)
2002年来日(『マイノリティリポート』・東京国際映画祭)
1986年来日(『カラーパープル』)
1982年来日(『E.T.』)
…
1980年?(『1941』)
1980年3~4月に日本に『1941』のキャンペーン来日はあったのか。 まずはネットで、そして資料を紐解いて……。しかし見つからない。それどころか調べの付く中でもっとも古いものが『E.T.』のキャンペーン。これが公式初来日と言われている。それ以前は非公式、お忍びの来日となってしまう。聞けばスピルバーグ監督は新婚旅行の最後にチョロっと寄ったり、お忍び来日も多いらしい。しかしそれは時代の下ってからの話。公開時のピンポイントに来日していた可能性はゼロではないが限りなく低い。
『1941』は三船敏郎が出演する真珠湾攻撃直後を描いた傑作ハチャメチャコメディ。取材や日本の映画事情の見学をかねて来日の可能性はあるような気がするが、そうだとしたら『1941』の製作前。映画『のび太の恐竜』はこの世にまだない。
映画館が駄目ならビデオで……、と言いたいがそれでは間に合わない。何しろビデオ化されたのは昭和60年、1985年だからだ。
そうなると残る媒体はフィルムになるのだが、フィルムを初見映画の為に買うことはまずありえない。ゴジラを買おうとして付いてきちゃった、なんてことならファン心理的には納得できるが35mmフィルムの物理的大きさを見たらありえないと言っていい。
どう考えても八方塞りなのだ。
もういい加減恥ずかしいから『E.T.』は『のび太の恐竜』をヒントにした説を信じるのをやめないか? 売れたものにすがる感覚や白人文化に対する日本人のコンプレックスが見受けられてみっともない、恥ずかしい。それに何よりもスピルバーグ監督にも藤子先生にも失礼に感じるのだ。
ディズニーの影響を受けたクリエイターとして藤子F先生とスピルバーグ監督の感性に共通するものを見受けるのは否定しない。でも、それとこれとは別問題だ。
そもそも『E.T.』を観てどれだけの人が『のび太の恐竜』を想起するだろうか。
『のび太の恐竜』のヒントになった作品として作者・藤子F不二雄は『野生のエルザ』があったと公言している。
なぜアメリカ映画『E.T.』を『野生のエルザ』ではなくわざわざアジア発『ドラえもん』が元だと考えるのでしょう。不自然極まりない。
『エルザ』になく『E.T.』にある類似点を挙げるならば”子供が主人公の話”であり、”親に隠れて異生物をかくまう”箇所になるのでしょうか。
しかしそこにスポットを当てるならば『のび太の恐竜』なんてマイナー作品よりも自国の映画の方がよほど似た題材があるでしょう。
狭い自分の知識の中でもそっくりのプロットとしてよりも1962年製作日本公開昭和39年のディズニー映画『脱線あしか騒動/SAMMY THE WAY-OUT SEAL』が思いうかぶ。こちらにヒントを得ている可能性の方がよっぽど頷ける。
それどころか、プロットの類似性を言うならば『脱線あしか騒動』と『のび太の恐竜』のほうがよっぽど似ていて、言及、研究するならこちらの方が面白い考察が出来そうだ。(もっとも創作と言う行為は、具体的な下敷きを意識することは決して多くないと思うのだが。)
何のことはない、スピルバーグ監督は恐竜を宇宙人に置き換えたのではない。あしかを置き換えて宇宙人にし、あしかを恐竜にしたのが藤子F先生だとも思える。
『E.T.』は『のび太の恐竜』を基にしてるなんて脳天気に言うなら逆を考察するほうがよっぽど意味深長なはずだ。数々のファミリーピクチャー、子供向けの佳作を発信し続けたディズニー・ブランド、そして80年代はその後を継ぐように活躍したスピルバーグ。日本で同じように子供向けの娯楽作を提供し続けた藤子。3者の共通点や影響は見れば見るほど興味深い。
盲目的に日本のアニメがハリウッドに影響を与えていると喜んでいる人は浮かれるのを辞めて『のび太の恐竜』の何が素晴らしく、オリジナリティがどこにある作品なのか今一度見つめなおして欲しい。説が再生産されるたびにそう思い続けている。
<つづく……かもしれない。>
[2009/03/02修正]
[2009/10/27ドラえもんしんぶん画像追加]
コメント
_ (未記入) ― 2009年10月20日 19:58
_ しらいしろう ― 2009年10月21日 06:20
コメントどうも。
どっちみち、メリッサ・マティスンにイメージ注入できないので時勢としてはおかしいと思いますが、完全否定はいたしません。
貴殿が影響を与えていると信じるのはご自由です。ぜひとも物象を発掘して、発表してください。
藤子F先生自身、藤子賞の授賞式の挨拶で“イタダキの薦め”といった感じのテーマで話されていたことを思い出します。古典から、いかにいただいて、どう新しくしていくかお話されていたことを思うと、この論議自体、馬鹿げているように思えます。
そもそも似てますかね? 両者は。残念ながら自分はあまりそう思っていないのです。
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