可燃の言葉、付け火の罪2007年02月08日 05:39

”言葉”は燃えるもの?
昨年あたりから「ブログ炎上」なんて表現が生まれ新しい日本語になってるようです。可燃、不燃で分けるならばブログは可燃ごみだったようです。

さて、ここしばらくニュースを賑わせているのが柳沢大臣の「女性は子どもを産む機械」と言う失言問題。その後も失言を連発して柳沢大臣はそのたびに頭を下げっぱなしです。
失言は燃えやすい、そう思わされる今日この頃です。

別に柳沢大臣の弁護をするつもりはないのですが、デカルトの時代から人間を機械に例える考え方はあったのですから、一概にその一文だけを切り取って総攻撃をする世論のイケイケ感はなんだろなぁ、と言うのが感想です。

ネットで起こる”ブログ炎上”にしても”柳沢大臣問題”にしても失言と言う可燃物があるのは分かるのですが、全体の文脈を無視して悪意あるトリミングし全体像を隠してしまう”着火”は周りの人間の付け火のようで、むしろそちらのスタンスに罪悪を覚えます。

聞けば、柳沢大臣の失言にしても発言直後に自身が気がつき謝罪訂正しているのに、訂正後は無視。
謝っている人間を追いかけてボコってるような気がしてなりません。もっとも続けて失言を連発しているので、火の中に本人も燃料投下しちゃってるんですけどね。
失言うんぬんよりも考え方に問題がある人物だとコマが進んでしまっています。何を今更……。

話を戻しましょう。ブロガーとして可燃物を見えるところに出したくない気持ちは多くの人が持っているだろうし、自分もかなり臆病になっています。しかし、それってツマンナイですね。個人個人はそれぞれが違う見解を持っていて当たり前。一般常識を踏まえた上で自分の立脚点、個性、脱線を見つめることは大切です。

つーワケで時には問題発言してやりたい、そう思いながら今日も保守的なエントリーしか書けない臆病者の自分なのでした。

マッチ一本火の用心、失言ひとこと火の用心。