ベルト/トムとジェリー ― 2009年05月15日 16:23
そういえばこんなの持っていたっけ。実際に使用していたので、それなりの使用感が、また風合いになっているのが本皮のいいところ。年度もメーカーも不明だけど、10年位前には既に持っていたような気がする。
家族いわく、太ったからベルトが通らないんじゃないかと。
買ったときは、かなり長さをもてあまして短くカットした記憶もあるけれど……見事に丈が足りない。いや、腹を縮めてがんばれば締めることが出来るけれど、それでは苦しくて日常生活が送れなさそう。穴だって、力に負けて裂けてしまいそう。
あぁ、せっかくに実用品兼コレクションが完全なコレクションだけの存在に……。
観劇「いつも心に怪獣を」トツゲキ倶楽部公演 ― 2009年05月15日 23:50
今回は生の舞台劇なのに怪獣モノという、なんとも野心的なモチーフ。
予想としては怪獣の出ない怪獣映画『大怪獣東京に現わる(1998)』が思い浮かぶけれど、舞台でその手の丁々発止があれば、さぞかし舞台栄えしそうで、ワクワク。
以前のこの劇団ユニットが上演した『ゴドーを待ちながらを待ちながら』の空間づかいのトリッキーさが、気持ちよかったので今回も期待大で挑みました。
そして今回のチラシは冒頭掲載のように怪獣絵師の大御所・開田裕治氏筆! まったくオリジナル怪獣のビジュアルに落ち着けというほうが無理な話。
舞台は二部屋を平行に描くマンション・シークエンス(東京)と怪獣の出現した現地(名古屋)を交互に描く二元中継的な空間で展開。それぞれの家族や人間関係が交錯し、怪獣との意外な関係性が明らかになっていく。
違う空間をトリッキーに描くセンスは健在で、境界線によって違う空間という表現を、今回は縦方向(高さ)にも使っているのはなるほど、と思わされた。
登場人物の中に怪獣研究の権威が居たり、前出映画のようにTV中継を食い入るように観るシーンなどは予想の範囲内として、“怪獣がでない枷”をどう生かしていくのかが見もの。その意味、人間ドラマに掘り下げが進むのは気持ちが分かるのだけど、ちょっとシリアス度が高くて疲れてしまったのが正直な感想。
「いつも心に怪獣を」のタイトルから連想する理想的イメージが、巨大生物に対するロマンを胸に秘めている“前向きさ”を(勝手だけど)連想してしまっていたので、実際の舞台で描かれる意味が「そっちの意味かぁ」というのが、チョイ惜しい。
あまり前向きな方向性で掘り下げると「怪獣」ではなくて「巨大ヒーロー」へのミス・マッチングになりかねないのは重々承知の上でも、破壊者としてのみ怪獣という存在を掘り下げるより“巨大生物のロマン”の方が個人的には好みだったかなぁ。
(以下、ネタばれ含む)
怪獣モノの不文律で被害者を描かないというルール。あえて踏み込んだ映画『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒(1999)』の例もあるけれど、ここに踏み込むと結局、現実の災害を想起させる心の深い傷の話になって、どうしても出口のない暗くて深い問題を抱えた作品になってしまう。
そのトラップにまんまとはまってしまった印象を受けて、主要登場人物の中に、そのドラマを盛り込んでしまった本作は、後半、負け戦と分かっていても、進むしかないような、つらさを感じてしまった。
怪獣モノというジャンルをパロディックに扱って笑いを取るコメディ的なアプローチを期待していたせいもあって、(予想とズレたという不満ではなく)しんどかった。後半を完成版のままにしても前半に笑いたっぷりだったならば、印象は変わったかもしれない。
終盤、災害を越えて生き残った喜びを体現する部分は充分に空気感があっただけに、演劇としての満足感はあったものの、“怪獣”というキーワードとしては「惜しい」という感想だった。
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