プログラム/ウォルト・ディズニー映画際'912008年09月16日 20:27

Disney Film Festival '91 /pamphlet (1991)
世界でも初めてのディズニー社のフィルムだけを集めた映画祭『ディズニー映画祭』が1991年東京で開催された。好評を博して、翌年、翌々年と連続開催され、以降も断続的に開催されている。

画像は公式プログラム。(A4判)
表紙は当時発売されていたジグソーパズルの流用で、全てのキャラクターの名前が知りたい場合は商品を手に取るように紹介されている。商品版では黄色い背景になっているために抜き忘れで所々に黄色い面があるのはそのため。


■(第一回)ウォルト・ディズニー映画祭’91
○ディズニーシアター/
開場:渋谷東急(渋谷東急文化会館5F)
会期:6/7~6/9
パネラー:ロイ・E・ディズニー、ジェフリー・カッツェンバーグ、ヘンデル・ブトイ、アラン・メンケン、ジョディ・ベンソン、石ノ森章太郎、鈴木伸一
司会:田中美和子

スケジュール:
6/7 18:30(オープニングセレモニー)「白雪姫(吹替)」
6/8 13:00「田舎のねずみ」「バンビ(吹替)」
6/8 16:00「牡牛のフェルディナンド」「ピーターパン(吹替)」
6/8 10:00「プルートのなやみ」「レスキュアーズ・ダウン・アンダー(日本初公開)」
6/9 10:00「三匹の子ぶた」「101匹わんちゃん(吹替)」
6/9 13:00“MICKEY'S アニメマラソン” 「蒸気船ウィリー('28)」「ミッキーの街の哀話('32)」「ミッキーの芝居見物('34)」「ミッキーの大演奏会('35)」「ミッキー夢物語('36)」「ミッキーのりょう犬('39)」「王子とこじき(日本初公開/吹替)」
6/9 15:30「みにくいあひるの子(リメイク版)」「ピノキオ(吹替)」
6/9 18:30「リトルマーメイド(日本初公開/字幕)」(クロージングセレモニー)

メモ:初公開作品はその後つく邦題とは全て違っている。(「レスキュアーズ・ダウン・アンダー」→「ビアンカの大冒険~ゴールデンイーグルを救え!~」、「王子とこじき」→「ミッキーの王子と少年」、「リトルマーメイド」→「リトル・マーメイド-人魚姫-」)

中でも「王子とこじき」は、日本語吹替えとローカライズが完成している形で上映され、日本語ロゴで「王子とこじき」と焼付けられていた。
劇場ロビーには物販も充実し、後のディズニーストアのような風景に見えた。
各回で入場者プレゼントがあり、三菱銀行のノベルティー「リトルマーメイドえんぴつ」と「ミッキーマウス石鹸」か「ミニーマウス石鹸」が配られた。

○ファンタジア シネマ・ライブ
開場:東京ベイNKホール
日付:6/6(19時15分開演)

CAST/
指揮:手塚幸紀/竹本泰蔵/松尾葉子/佐渡裕/小松崎孝輔
演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団
コーラス:コール・ファンタジア
コーラス指揮:辻正行
メゾ・ソプラノ:郡愛子
スペシャルゲスト:ミッキーマウスとその仲間たち
案内役:中村吉右衛門

メモ:映画に合わせてフルオーケストラが演奏する世界初の試み「ファンタジア・シネマ・ライブ」。レオポルド・ストコフスキー指揮する音楽に合わせた画面とシンクロさせるために指揮者のレクチャーがディズニー社によって行われた。当初はアメリカから担当者が来日する予定が中止され企画自体が消えそうになってしまった。しかし企画実現のために逆に日本から指揮者が渡米することでレクチャーを完了させた。

以下、現在は消えてしまった竹本泰蔵氏のウェブ日記からの抜粋。現場の苦労と同時に、どれだけ細かなクオリティ操作が行われていたかが伺える。
映画は1秒間に24コマ。でも、いろんなデータを一括して管理するにはちょっと不向きな「アナログ」です。そこで、すべてをシンクロさせる「もと」を、ビデオのタイムコードにして、「デジタル」ですべてを制御することになりました。ビデオのタイムコードは、1秒間に30フレーム。デジタル・オーディオ・ファイルという、当時3000万円もする(らしい!)器材を使って、指揮者用の信号をそれぞれ自分の声で録音します。そのあと、実際にその信号でオーケストラとリハーサルをし、うまく行かなかったところは修正するのです・・・・・が。
この修正がむちゃくちゃ大変!!たとえばある指揮者が、「あの、イチッていうキューを、もうちょっと早くしたいんですけど・・」なんていう修正を希望したとしますと、その「ちょっと」という言葉を私なりに状況を判断して、「2フレームずりあげて下さい!」とか「3フレ前にして下さい!」な~んて、技術の方にいわば「翻訳」して、具体的に伝えなければなりません。そのさまざまな「ちょっと」や「ほんの少し」の判断が、思いのほか難しい作業でした。
映像の技術の方は、一秒間に24コマの映画と30フレームのビデオをシンクロして動かす技術で、特許までとって工夫をしたそうです。(映画は、上映して時間が経つにつれてフィルムの巻きが下にたまり、その重さで微妙に24コマより早くなってしまうんだそうです。)・・・・
そんなこんなで迎えた91年6月6日。ふだんあんまり緊張したことのない私ですが、さすがにこの日は「超!!緊張」でした。無事に終わったのが不思議なくらいでしたが、この世界で初めてのイベントは、一生忘れられない素晴らしい思い出となって、私の心に生きています。

○オープニングパーティー
日時:1991/6/5
開場:赤坂プリンスホテル・クリスタルパレス
司会:高嶋秀武、西田ひかる

メモ:前売りチケット購入者から抽選で選ばれた150名の一般客が参加できた関係者パーティー。


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