「パンと魚の奇跡」に悩むアルフレード ― 2006年01月17日 00:15

「”パンと魚の奇跡”がわからない。」
これはイエスの元に集まった男だけで五千人、女、子供を合わせれば二万人もいる群集の食事をどう用意したかと言う物語です。その場にあったものと言えば5つのパンと2匹の魚だけ。とうてい足りるとは思えなかった弟子たちは買いに行こうと言い出すのですがイエスは5つのパンと2匹の魚をその群集に分け与え、その食事だけで皆を満ちたりさせたと言う奇跡の物語です。
パラダイス座のキャパシティを越えてあぶれ、心の空腹を訴えていた群衆。彼らにスクリーンを用意する奇跡を使って、彼らを満たそうとしたアルフレード。彼にとってこの物語はとても意味の深い物語なのです。
「やっぱりあれはありえないよ。」
よかれとしてやった行いなのに映画館は火事で焼け落ち、自分は失明するアルフレード。パロッキアーレ(教会経営の映画館)であった映画館は資本主義で再生し、”神のいない映画館”に変貌。フィルムは前編と後編でぶった切りになって2つのスクリーンにかけられ観客を満たします。
「なんでも神様のようにこたえてくれる」と評するトトの目に映るアルフレードと違って、自分の行いに悩むアルフレードは人間的です。
コメディとして通り過ぎてしまいそうなシーンですが、「パンと魚の奇跡」はこの映画を読み解くとても重要なワードなのです。
※画像は昨年春発売された『週間20世紀シネマ』の「ニュー・シネマ・パラダイス」掲載号。本文とは特に関係ないです。
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